華夷思想と春秋(1)

 華夷思想
 貴方のお手元のスマホやPCでこの言葉を検索すると、なぜかウィキペディアの「中華思想」という用語が目に入るのではないでしょうか。
中華思想とは、中華の天子・皇帝を世界の中心と考える思想です。この中華思想が、別に「華夷思想」とも呼ばれるのは、中華思想が必然的に中心とそれ以外によって世界が成り立つという世界観、つまり「中華」と「夷狄」という二つの前提条件が必要となるからです。
 自分たち(中華)とそれ以外(夷狄)という考え方が理論化されたのは、『春秋』からとされています。『春秋』とは、春秋時代(前七七〇年頃~前四五三年頃)中期から後期、孔子を輩出した魯の歴史記録として伝わる歴史書です。
 この『春秋』には不思議な点があります。
 例えば浙江下流域の呉という国があるのですが、ある年代まではこの呉が「呉」と呼ばれ、ある年代では「呉子」と呼び方が変更されたりします。『春秋』では、このようにさまざまな国家、地域や特定の人物の呼称が不規則に表記されているのです。
 そして、後にこの不規則な表記の裏に、じつは規則があるのではないか、と考える人々が現れます。こうして前漢時代(前二〇六~八年)に入ると『春秋三伝』(『公羊傳』、『穀梁傳』、『左傳』)と総称される春秋の注釈書が世に現れるようになります。

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