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タワマンVS一戸建て-COVID-19と都市計画 その6

 COVID-19の影響で、低密度な暮らしが見直され、これから「郊外の時代」がまた来るんじゃないかということを考えてみたいと思います。

 2つ前のnote「都市空間の格差」でも少し書きましたが、東京の都市形成はざっくりと2000年までの「ドーナツ化=郊外化」、それ以降の「都心回帰」に分かれます。ドーナツ化は新しい開発余地を求めて外へ外へと都市が延びていった現象であり、都心回帰は都心の建物が代謝の時期を迎えてきたところに、土地を高度化する建設技術が発展し、かつ都市計画や建築基準の規制緩和がそれを後押ししたために起きた現象です。
 単純化すると、外へと都市が延びていく一つ一つの単位になったものが一戸建て住宅であり、都心回帰を促進した「高度化する建設技術」の粋を集めたのがタワマンなので、ここでは郊外VS都心の対立を、ビルディングタイプとしては一戸建て住宅VSタワマンというふうに単純化することにします。(実際はそんな単純ではなく、郊外にもタワマンがあり、都心にも戸建てがありますし、タワマンでないマンションも大量にあるわけですが)
 COVID-19は低密度な暮らしを要請するので、一見すると「これはまた郊外一戸建ての時代か」と思ってしまいます。都心回帰の反動で高齢化と人口減少に悩まされていた郊外において、自分たちのところで売れ残っている宅地、ポツポツと出てきた空地や空き家、微妙な感じで残ってしまった農地に、うまいこと新しい人口がはいってくるのではないか、と期待している自治体も多くあることでしょう。筆者も、職場が郊外にあることもあって(さらに生まれ育ったのも郊外っぽいところだったので)どちらかというと郊外派なのですが、果たしてそうなのかなと考えています。

 都市計画は伝統的に「高密度」と戦ってきました。高密度な都市=スラムには、大火や地震災害のリスクがあり、伝染病のリスクもあり、いいことが無いので、それを解消するために道路をつくったり公園をつくったり、時には根こそぎスラムを改良してしまうというように都市計画ははたらいてきました。郊外に道路や緑地をふんだんに備えた市街地が広がっていったのも、基本的にはその延長にあります。そしてその動きに対して、上記のように「都心回帰」が起こり、タワマンが発明され、それを後追いするようにコンパクトシティの政策が出てきました。(COVID-19がコンパクトシティに対してどうはたらくのかは、二つめのnote「コンパクトシティはどうなるんだろう」で考えた通りです。)
 大雑把に密度だけをみると、この流れを再び逆転させることが起こってしまったと言えなくもないのですが、ビルディングタイプをみると、(雑ですが)スラム→一戸建て→タワマンという進化を遂げてきているわけで、はたして「スラム」と「タワマン」が同じなのか、この二つはCOVID-19に対して、同じように弱いのか、ということを丁寧に考えなくではいけません。
 密度が高いとはいえ、スラムとタワマンがあらゆる面で異なるものなのは明らかです。例えば住戸一つ一つの気密性、住戸の中の人口密度、住戸と住戸の関係、住戸と都市がつながる経路、などを考えてみると、スラムは隙間風が入りまくり、小さな空間にぎゅうぎゅう詰め、住戸のプライバシーもほとんどない、そして経路が混乱していてあらゆるところに人が歩いているという状態にあります。タワマンはほぼその逆で、窓すら自由に開けられないほどの気密性があり、東京都心の場合は60㎡から80㎡くらいに家族が暮らし、隣の人が何をやっているのか、住んでいるのか空き部屋なのかすらわからない、そして必ずエレベーターを通じて外部とつながっています。少なくとも、タワマンがかつてのスラムではないことははっきりしています。
 ではタワマンと一戸建てを比べるとどうなのか。ここで「空間をコントロールしやすいか」という視点を取り入れたいと思います。二つめのnote「コンパクトシティはどうなるんだろう」に書いた通り、筆者はコンパクトシティ という言葉が、「コントロールされた密度を作り出すための繊細な方法」という意味になっていくのではないかと考えています。希望的な観測では第一波でパンデミックは起きなかった、ということになりそうですが、第二波、第三波が確実にやってくるのではないか、その時にコントロールしやすい空間はどちらでしょうか。

 例えば予防のための動線のコントロール、感染者が出た時の部分的な空間封鎖、あるいはマスクの効果的な分配、診断する検疫所の設置、そんなことが「コントロール」の中身になるわけですが、これらのやりやすさでは、間違いなくタワマンに軍配があがります。
 戸建て住宅地にはゲートもなく、検疫所をどこに設置しようと、そこを通らずに外部にでることはそれほど難しいことではありません。全ての辻に人を立てないと、空間封鎖も不完全です。対するタワマンの場合、そこで暮らす人の動線は限定されており、ゲートを設けることは簡単です。オートロックのプログラムを少し操作するだけで、従わない人を外に出さない、というようなこともできるでしょう。最近はフロアごとにセキュリティがあり(同じタワマン住民でも別の階には入れない)、居室、フロア、タワー全体、と封鎖ができるポイントも階層的に組み上がっているので、空間封鎖も段階的に実施できます。
 
 だからといって、タワマンのコントロールが簡単っていうつもりもありません。政府が経営している住宅はほとんどありませんので、タワマンにせよ一戸建てにせよ、事態が異常に悪化でもしないかぎり、強権的に政府がコントロールをすることは起こりえず、政府ができることはタワマンと一戸建てに、コントロールのためのリソースを分配していくことだけです。コントロールは、あくまでも住宅側の意思によってでしかなされません。
 その「意思」、つまりコントロールを導入するときの住宅のガバナンスという視点でみてみると、タワマンのガバナンスにはばらつきがあり、さらにはそのガバナンスがうまく作られていないタワマンも多くあります。一戸建て住宅も状況は同じですが、一戸建ての住宅団地を考えた場合、いくつかがコントロールに失敗したとしても、一つ一つのガバナンスが独立しているので残りのコントロールは失敗しませんが、タワマンの場合は、完全に成功するところと完全に失敗するところに分かれてしまいそうです。つまり、ゼロか百で結果がはっきり出るのがタワマン、一から九十九の間で様々に結果が出てくるのが一戸建て住宅団地、ということなのかもしれません。

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