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都市空間の格差--COVID-19と都市計画 その4


 COVID-19が新たな格差を生み出しているのではないか、という報道や議論があれこれと出てきています。筆者は都市計画の専門家ですので、格差が空間としてどう顕在化してくるか、そこにどういう手立てが必要なのか、ということを考えてみます。
 災害がそれまで社会の中にあって見えにくかった格差を拡大し、顕在化させることはその通りだと思います。しかし、「格差の拡大」という言葉で想像してしまう、「富める者はますます富み、貧しい者は一様に貧しくなる」、という単純なことが起きるわけではありません。
 例えば、地震災害の場合、それは広い範囲の大地を揺らしますが、被害は土地の揺れと建物の壊れやすさの掛け合わせで出てきます。結果的に古い木造の建物が壊れることになり、そういった建物に住んでいた人たちに被害を与えます。1995年の阪神淡路大震災では、都心に近いところに戦後に形成された古い木造住宅に、昭和の時代を生き、なんとか小さな住宅に落ち着いて老後をむかえていた人たちが住んでいたので、結果として無職の人たちが住宅を失うことになり、高齢者の問題が顕在化しました。しかし、これは「高齢者が古い木造住宅に住んでいる」という状況があったら起こったことであり、もし大金持ちが古い木造住宅に住むことがステイタスであるような社会であれば、格差は顕在化しないはずです。
 では、COVID-19はどうなのか、それは何らかのショックを社会に与えていますが、空間を壊しているわけではありません。さらには地震よりはるかに広い範囲に一様に被害を与えています、正確にはどこを壊し、それはどう空間の問題として顕在化してくるのでしょうか。

 東京を例にとって、筆者なりの見立て方を示しておきます。
 東京の都市空間がどういう状況になっていたのかをざっとおさらいしておきます。1990年代の中ごろまで都心人口の流出が進む「ドーナツ化現象」が起きていました。住宅が産業のための空間に置き換わっていく現象です。そして2000年ごろを境に都心部への人口流入=「都心回帰」が始まります。バブル経済の崩壊のあとに都心部の地価が下がり、そこに住宅が開発されるようになったことが大きな原因で、人口減少に悩んでいた都心部の自治体が軒並み住宅の規制緩和をしたこともあり、住宅が目覚しく増えていきます(タイトル画像は、この15年間で集合住宅がどこに増えたのかを分析したものです)。
 つまりざっとまとめると、戦後の東京においては、人と空間の関係が、大きく2回撹乱されているということです。1回目は都心部から人が出ていくような撹乱、2回目はその逆の流れの撹乱ということです。この2回の撹乱を経て、「空間的に格差が固定された状態」がどれほど作り出されたのでしょうか。
 なんらかの好ましくない状態(例えば極端に貧しく仕事のない状態)の人たちが偏在し、そこに好ましくない空間(例えば電気も水道もない状態)が偏在しているとき、そしてその人たちの暮らしがその空間に強く規定されて、よからぬ状態が再生産されている(そこで生まれた人はそこから抜けられない)空間を「スラム」と呼びます。「空間的に格差が固定された状態」の分かりやすいものがスラムなわけですが、2回の撹乱でそれが生まれたのかどうか。
 スラムほどのひどい状態は、1回目の撹乱の前にほぼなくなり(関東大震災による撹乱で明治期のスラムがなくなったということらしいです)、1回目の撹乱でもそれが発生することはありませんでした。1回目の撹乱は郊外化という形で進みますが、その時にうっかりと建築基準をつくり忘れたり、水道を引くための資材が圧倒的に不足したり、なんていくことがあったら、郊外にたくさんのスラムが出来ていた可能性もあるのですが、そんなことはおきませんでした。
 2回目の撹乱ではどうだったのか。撹乱開始から20年くらいが経つので、ちょうど今そのことを調べているところだったので、まだはっきりとしたことは言えないのですが、なんとなくの結論として見えているのは、そこでは極端に「空間的に格差が固定された状態」が発生していなさそうだ、ということです。「空間的に」と断っているところがポイントで、格差そのものは発生していそうです。しかし、特定の市町村、あるいは特定の小学校区にそれが集中しているのかというと、それほどでもなさそう、ということです。要するに、どんな街にも富める人と貧しい人、困っている人たちが一定の割合でいそう、かつそれはあなたの隣人かもしれない、ということです。
 都心部などが再開発されるときに、欧米由来の「ジェントリフィケーション」という概念で空間を分析することが多くあります。もともと地価が安く、貧しい人たちでも暮らしていけた空間に、再開発が行われることで金持ちが住み始め、地価が上昇することによって貧しい人たちが追い出されて行き場を失ってしまう、というような現象をさすのですが、2回目の撹乱においても、東京ではジェントリフィケーションはほぼ起こっていないと思います。
 では、どういうことが起きたのかというと、相対的に貧しい人たちが暮らしているところに、丸ごと、根こそぎではなく、小さな敷地単位で再開発がおきる(これは建築基準法の規制緩和のおかげでしょう)、そしてそこに新しいピカピカの集合住宅が建ち、そこそこお金を持った人たちが入り込んでくる。しかしそこではコンフリクトが起きるわけではないし、古くからの人たちが追い出されるような圧力がはたらくわけではない。そもそも「相対的に貧しい人たち」は、極端に貧困なわけでもなく、極端な生活様式をもっていたわけではない(それは1回目の撹乱のおかげだと思います)。古い住民と新しい住民は、もちろん大の仲良しというわけではありませんが、反発することなく共存している、ということではないでしょうか。

 そしてここに起きた、3回目の撹乱になるかもしれないのが、COVID-19です。私もふくめたほとんどの人たちが、3回目の撹乱は首都直下地震ではないかと思っていたので、まさしく不意打ちを食らった状態なのですが、これがこれまでの2回の撹乱と同じレベルの撹乱になっていくのでしょうか。そしてそれはマクロな空間構造の変化、つまりドーナツ化→都心回帰につぐ第三の変化につながってくるのでしょうか、ミクロな空間構造の変化、つまり貧富が何となく混ざり込んだ状態の変化につながってくるのでしょうか。
 わからないことのほうが多いので、ここに答えが書けるわけではないのですが、考えているヒントだけを書いておきたいと思います。
 格差は古典的にはホワイトカラーとブルーカラーにわけて分析されることが多いです。学歴ー職種ー収入ー家族ー住宅が、固定された関係にあるのではないかということを前提とした分析で、例えば大卒ー上場企業勤頭脳労働ー年収800万ー夫婦子供一人ーマンション暮らしが「ホワイトカラー」、高卒ー中小企業勤肉体労働ー年収400万ー夫婦子供二人ー木造アパート暮らしが「ブルーカラー」です(単純化しすぎですが)。先ほど示した「格差が固定化されていないんじゃないの」とか「ジェントリフィケーションはおきていなんじゃないの」という私の認識も、この「ホワイト対ブルー」世界観に基づいています。
 しかし、COVID-19は、この「ホワイト対ブルー」を際立たせるように襲いかかっているのでしょうか。つまり、ホワイトにはより弱く、ブルーにはより強く影響を与えているのでしょうか。
 すくなくとも、現時点でわりとはっきりとしている「緊張したキーワーカー」と「ゆるいそれ以外」の人たちの区分は、ホワイトにもブルーにもかかってきています。医師はホワイトで、宅急便の配達のおじさんはブルーなのですが、どちらも大変なことになっています。一方で、中長期的にみて、大企業が生き残り、中小企業が生き残らないかというとそうでもなさそうです。災害は局所的ですが、COVID-19は世界のどこにいようと均等に被害を与えるので、図体が大きければ大きいほど、被害も大きいことが考えられるからです。
 そしてこれらの人たちが、空間的に偏在しているわけではないので、例えばブルーカラーだけの街が壊滅的になるということも起こりそうにないですし、ホワイトカラーの大移動がおきて、ブルーカラーだけが取り残されるということも、大きな現象としては顕在化しないように思います。

 結果的には3回目の撹乱はあまり大きなものにはならず、現在の東京がつくりあげた空間構造が、その影響を分担して受け止め、空間にはごく小さな変化がおきてくるということだけじゃないのかなあ、とも思います。「空間的に格差が固定された状態」はほとんど出てこないんじゃないか、ということです。繰り返しになりますが、これは空間に対する何らかの政策(=都市計画)が必要なのかどうかを考えているだけなので、問題は都市計画では解きようがない、ということを言っているだけです。格差は空間化されずに出てくると思いますし、それは全ての都市において等しく解決に取り組まないといけない、ということなのだと思います。
 またえらく長くなってしまったので、このへんで。
 次くらいからは空間の設計の方法などを考えたいです。

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