調査についてのノート-COVID-19と都市計画 その9
COVID-19どうなるんだろう、と動けない中で、あれこれ想像して考えていた時期は終わりつつあり、ちゃんと調査や提案を作っていく時期に入ってきました。
5月から大学の授業が始まったのですが、その一つに「参加型デザイン実習」という演習があります。これは例年は、DIYでどうやって空間をつくるか、というようなことをやっていたのですが、今年はDIYになかなか入れないこともあり、コロナウイルスとともにある空間などを、24人の学生がそれぞれの持ち場で調査をし、それを持ち寄って9月ごろにデザインに入っていく、という授業に仕立てなおしました。経緯はFacebookで報告中です。
5/16の火曜日はその中間発表でした。ひたすら自分のご飯をスケッチする人、子供に怪しまれる人、公園を淡々と膨大にパトロールする人、コロナの時間の中で自分が何を忘れていくのかを調査する人、実家のたこ焼き屋の売り上げの変化を記録する人・・・など、様々で、面白かったのですが、その日にコメントと議論をしたことを、簡単なメモにまとめました。私から履修している学生へ向けてのメモなので、学生になった気持ちで読んでください(わざわざ公開するほどのものでもないのですが・・)。調査をして、それをどう都市空間の計画につなげていくのか、ということについてのメモです。
学生へのメモ①:データとは何か
まず、着々とデータが集まってきていて素晴らしいと思います。データの一つ一つには意味がなさそうだったり、地味で気持ちが上がらなかったりすると思ってしまうかもしれませんが、集まったデータを並べてみたり、それを他のデータと比べたりすることで、事実が立体的に立ち上がる瞬間があると思いますので、それを夢見て、それまでは勤勉にデータを集めてください。世界中の人たちがデータを集め始めていますので、いずれ他のデータに組み合わせたり、他の人に使ってもらったりするということにもなると思います。
学生へのメモ②:データに名前をつけよう
見つけたもの、集まったデータに名前を付け、そして種類分けをしていくといいと思いました。この「名前をつける」というところが大事です。a型とかb型とかの血も涙もない、客観的なフリをした名前をつけるのではなく、まずは血が通った名前をつけてみましょう。表音文字(英数字ひらがな)ではなく、表意文字(漢字)をたくさん使う。優れた名前は、新しい思考を呼びおこします。この授業の中でだけ通用する、方言をつくるつもりで名前をつけていきましょう。
学生へのメモ③:アフォーダンスに注目してみよう
今日の発表の何人かへのコメントで、アフォーダンスという言葉を使いました。この言葉は簡単にいいますと、「私たちがモノを認識する」のではなく「モノが私たちに語りかける」というふうに、視点を逆転してみようということです。モノが私たち語りかけることをデザインしよう、ということを、格好つけて「アフォーダンスをデザインする」なんて言います。手すりをデザインするときに、表面をきれいに磨くのではなく、ちょっとくぼみをつけたほうが、「触ってみよう」っていう気になりますよね。それがアフォーダンスのデザインです。そして今回のデータを見ていて面白かったのは、ショッピングセンターの入り口にある柱とか、公園に昔からあるベンチとかのアフォーダンスが明らかに変化してきた、ということです。邪魔だった柱が、今はソーシャルディスタンスを確保するための距離をはかる目印になっている、落ち着いて歩いてみると町中に置いてあったベンチが「座っていいんだよ」と語りかけてくる・・というような変化です。もちろん、モノが変化するわけでも、口をきくわけでもないので、変わったのはあくまでも人間側の認識なわけで、COVID-19によって、世界中の人間の認識が同時に変わり、世界中のモノのアフォーダンスが同時に変化した、ということです。そのアフォーダンスをどう整えていくか、ということが私たちの授業の課題ということになります。
学生へのメモ④:ブリコラージュに注目してみよう
もう一つ、COVID-19に対応するために、いろいろな人がいろいろな場所で作り出している手作りのモノについて、「ブリコラージュ」という言葉を使いました。これは文化人類学発祥の概念で、未開人や素人の器用仕事みたいな意味で使われます。設計図に基づいたデザインではなく、その辺の有り合わせのものを寄せ集めながらデザインをしていくということを指します。手を動かして組み合わせながら考えていくこと、そこに私たちが失ってしまった創造性があるんじゃないかということです。しかし気をつけないといけないのは、COVID-19へ対抗して、手作りで工夫をしているように見えても、そこには「マニュアル通りのブリコラージュ(エセブリコ)」があるはずです(例えば某大手カフェチェーンのCOVID-19後の店舗空間の構成は、どこに行ってもほぼ同じです)。
おこっている問題に対して、理性的に対応することが、時間的にも、能力的にも可能だったら、そこには「設計図」やマニュアルが介在します。一方で、わけがわからない問題、日々刻々と違う事実が明らかになっていくような問題(COVID-19はまさしくそういう問題です)に対しては、設計なんてやっている時間がありませんから、そこにはブリコラージュが発生することがあります。
それを発見し、丁寧に拾い上げて、それをカタログ化して設計図によるデザインにフィードバックするということをやってみてもよいのですが(建築の世界では60-70年代に集落のフィールドワークなどが盛んでしたが、それがデザインにフィードバックされたのが80-90年代のポストモダンと呼ばれる時代でした)、それだとたぶん時代遅れになるので(デザインにフィードバックされたころには、COVID-19が次のステージに入っているかもしれないので)、私たちの授業では、ブリコラージュの創造性の源になっている感覚を追求してほしいと思います。ウイルスこえー、死にたくない、みたいな、野生の感覚が呼び起こされ、それが手の動きに影響して、そこに新しい創造性があるんじゃないかと思います。
学生へのメモ⑤:何を見なかったのかを考えてみよう
調査によって、見たことを丁寧に分析することはもちろん必要ですが、「何を見なかったのか」を分析することも大事です。スケッチをしながら、写真からコメントを起こしながら、みなさんが無意識のうちに、「ここは変化がないよな」と取り除いてしまっている部分です。「見なかったもの」には、未熟なみなさんが気づいていない変化が隠れているかもしれませんし、そこに変化がないのであれば、それは「コロナごときではびくともしない空間」ということなのだと思います。
そして「見なかったもの」を考える時のヒントは、その後ろにある「生活のひろがり」を想像することです。朝起きてから、次の日の朝に起きるまで、月曜日に仕事を始めてから日曜日に休息を終えるまで、生活とはひとまとまりの時間と空間の中で、同じことをやや繰り返しながら積み重ねられていくものです。
そしてCOVID-19のストレスを受けて、みなさんの目の前に現れてきている行為は、その「生活」のある部分の応急的な代替手段であると考えられます。「今までの生活よりもいいもの」という上位の代替かもしれませんし、「今までの生活よりも悪いもの」という下位の代替かもしれません。
目の前にある、ベンチに座る、立ち話をする・・といった行為は、何を代替しているのでしょうか。公園でポケモンをやっているおじさんの普段の居場所はパチンコ屋だったかもしれません。そんなこを想像することが重要です。もちろん、おじさんの後をつけるわけにはいかないので、それはもう、できる限り手持ちの経験から類推するしかないですし、思い切って妄想を爆発させていくこともアリかと思います。
5月4日に厚生労働省から「新しい生活様式」という言葉が出されました。政策には常に一定の批判がありますから、この言葉にもあれこれとした批判が寄せられました。私も正確な意味はわかりませんが、この「生活様式」というかっこよさげな言葉を、自分なりに再定義してみるということにもつながっていくのではないかと思います。
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