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コンパクトシティはどうなるんだろう-COVID-19と都市計画 その2

 コンパクトシティという言葉を聞いたことはあるでしょうか。この言葉、拡がりすぎた都市を「ぎゅっ」とする考え方で、今から20年ほど前に「これからの日本の都市はコンパクトシティを目指すべきだ」ということが国土交通省や一部の先進的な自治体の中で言われ始めました。1970年代のイギリスで、ダンツィクとサアティという数理的なプランニングを指向する人たちが言い出した言葉ではあるのですが、そのままの意味では使われておらず、日本においてもこの20年間あれこれと解釈が加えられています。
 私も「使えるかな?」と、実験的な気持ちで(=粋がって)この言葉を20年ほど前にある都市で使ったことがあるのですが、その時はすぐに使われなくなるかなと内心思っていたのですが、結果的には人口に膾炙され、たくさんの政策がこの言葉に紐づけられてしまいました。もう日本語と言ってもいいほどの言葉になったと思います。2014年には「立地適正化計画」という、コンパクトシティを推進するための新しい計画制度が都市再生特別措置法に創設され、全国の自治体がそれを中心とした政策に取り組んでいます。昨年末で499の自治体が取り組んでいるそうな。(画像は神戸市の立地適正化計画の一部。少しお手伝いしました)

 都市計画は伝統的に「高い密度」を何とかしようとはたらいてきました。前近代から現代にかけて都市に人口が集中し続け、都市の空間の密度があがり、伝染病やら、大火やら、公害やらの多くの都市問題が高密度から生み出されるようになり、それを何とかしようと、あらゆる政策が動員され、都市計画もその主要な一つでした。道路をつくったり、公園をつくったり、建物と建物の間をあけたり、日当たりをよくしたり。日本の近代都市計画は100年くらいの歴史があるのですが、100年かけて何とか高密度を制御可能なものとして押さえ込んだ末に出来上がったのが現在の日本の都市ということです。押さえ込みは成功していました。少なくともCOVID-19の前までは。

 コンパクトシティはこの状態に対して、「ちょっと密度を下げすぎたかも」と、逆の方向に歯車を回そうという政策です。その背景には、「商店街をまもらないと(90年代からの流れ)」「地球環境によくないね(90年代からの流れ)」「インフラが広がりすぎてメンテナンス大変、維持管理費が持たない(2000年代からの流れ)」「クリエイティブな都市は密度が必要(どこまで信じられているかちょっと微妙だけど2000年代からの流れ)」、そして「人口減るじゃん(2000年代からの流れ)」などがあります。これらを問題意識として、都市計画の敵が「過密」から「過疎」になったのが、ここ5年くらいのことでした。

 で(ここから本題です)、少なくとも499の自治体がゆっくりと舵を反対側に向けて切り始めたところに、「みんな離れようよ」と悩ましく起きたのがCOVID-19です。一つ目のnoteに書いた通り、どんなに急いでも都市の空間はゆっくりとしか変化しませんので、コンパクトシティも計画や政策が出そろっただけで、空間的にはほどんと何も変化をしていません。だから手遅れというわけではないのですが、苦労して組み立てたコンパクトシティの最初のコードをどう書き換えていくのか、ということが悩ましい問題となってしまったわけです。
 COVID-19で、20年間かけて練られてきたコンパクトシティのアイデアがコテンパンにされ、その旗がついに下ろされるのか。コンパクトシティには反対する人も多いので、「それみたことか」と過激にコンパクトシティ打ち壊し論が出てくるかもしれません。
 まあ、人々の気持ちがどう動くか分からないので、確かなことは言えないのですが、コンパクトシティという言葉は、誰が言ったのかが分からない言葉になってしまっているので、そのぶん、解釈が重ねられて、しぶとく生き残っていくんじゃないだろうかと思います。倒す相手が明確ではないから、倒れないんじゃないか。もしこれが特定の政治家のマニフェストになっているんだったら、倒す相手が明確なぶん、言葉が棒立ちになっているようなもので、袋叩きに弱いわけですが、そういう状態ではない。この言葉はそれこそウイルスのようにあちこちに付着しているので、それぞれが変異を起こすんじゃないかということですね。(言葉の生き延び方としては、70年代の「コミュニティ」みたいになりそう。)

 ではそれはどういう変異なのか。おそらく、コンパクトシティという言葉の意味は、これまでの大多数の人たちが思っている「ただ都市を縮小する、再び高密度化するための雑な方法」ではなく、「コントロールされた密度を作り出すための繊細な方法」へと変わっていくのではないかと思います。「密度の状態」をあらわす言葉ではなく、「密度を制御する方法」をあらわす言葉になる。つまり、これから薄くなったり濃くなったりするCOVID-19のリスクに対して、密度を精密にあげさげするための方法がコンパクトシティです。

 都市計画の方法は単純なものであるにこしたことはないと思うのですが、コンパクトシティが目指してきた単純さ(立地適正化計画なんて、新しく2本の線を都市に書き込むだけの単純な仕組みですからね)に対して、期せずしてたくさんのことが起こってしまい、複雑な都市のあり方を整えるための複雑な方法に化けてしまった。数年後にはきっとそんなことになるんだと思います。ではどう化けていくのか、引き続き考えていきたいと思います(今日はここまで)。

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