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シリーズ なぜ”NEWS”にはまったのか

1 これまでのはまったアーティストの変遷

 そもそも、音楽アーティスト自体を認識したのは、就学前ではあったが、当時はメディアから流れてくる音楽については、アニメーションの主題歌くらいであった。すなわち、アニメーションとタイアップの曲があった音楽アーティストを一時的に聞く、見るといった状態が中学校卒業後まで長く続いたのであった。

 そして、平成15年10月に開始したアニメ「鋼の錬金術師」(荒川弘、スクウェア・エニックス、MBS、アニプレックス)を視聴し、第2クールに突入した翌年1月から、L'Arc~en~CielのREADY STEADY GOが主題歌となった。当時、15歳(高1)であったのだが、この時分に初めて同級生と岐阜・柳ケ瀬にあるカラオケ店へ行き歌唱した曲でもある。知っている曲でありかつ最新の曲という選択だったのだが、なかなかにこれがちゃんと歌えた。ほかに歌える曲はないかと、これまでの知っている音楽アーティストの曲を少しずつ思い返すようになった。

 そして、L'Arc~en~Cielのカウンター的な存在はいくつかあったが、その中でも地元の岐阜県が出身でもあることから、次に覚えたのは清春(黒夢)だった。
 したがって、私が最初にちゃんとはまった音楽アーティストはロックバンドで、L'Arc~en~Ciel黒夢の2組である。しかし、黒夢はこのときすでに活動をしておらず、清春はソロの音楽アーティストであった。
 そんなL'Arc~en~Cielも活動が活発でなくなる時期がすぐにやってくる。平成17年のLINKをリリース後にソロ活動が中心となった。そのため、メディアに流れてくるほかの音楽アーティストを探るようになった。

 さて、さかのぼること高校時代、当時見ていたYa-Ya-yah(テレビ東京)というバラエティ番組があり、Ya-Ya-yahという音楽アーティストグループについては、テレビアニメ忍たま乱太郎(NHK教育)の主題歌を担当していたため、存在自体を知っていたものの、当時は楽曲そのものにはさほど関心がなかったが、その番組で共演していたのが、私とほぼ同世代のNEWS(そのうち5名)である。NEWSはYa-Ya-yahのカウンターチームや番組の進行を担当する上級生的なポジションとして出演しており、当時、NEWSの人となりを興味本位で見ていて、結構面白いと思っていた(今や、しゃべると面白いことが定番となり、ライブディスクには映像特典MC集がついてくることが増えた)。インディーズデビュー(平成15年)やメジャーデビュー(平成16年)により、メディアへの出演が増えたのだが、何せ総勢9名、まもなく8名となるのだが、名前のところどころが似かよっているのもあって、この人数の顔と名前を覚えるのに苦慮したものであった。

 それも次第に顔と名前を覚えられるようになる。というのも、8名のうち3名が同い年(同学年)だと知ったからである。平成16年にフジテレビの女子バレーボール中継の応援歌として披露した「きらめきの彼方へ」、そして平成17年にリリースしたシングル曲「TEPPEN」は壮大なスケール感、あるいはこれまでの音楽アーティストグループにはない、違和感にも近い感覚があった。それは、多重唱である。これまでの歌手だけのグループの印象は、個人のソロパートや上下ハモが控えめにあって、ほぼ全員が同じ音階を歌いそこが聞こえるようになっているものというふうに思っていた。しかし、NEWSはどうだ、明らかに高音のフェイクが強く、それもメインパートと同等に聞こえるくらいに強く聞こえる。
 こうして、NEWSの人となりを興味本位で見ていた頃から、楽曲の凄さに関心がいき、ちゃんと聴くフェーズに入っていくのである。
 よもや、この声の主が2代目センターになるとは、このとき思いもよらなかった。

 なお、余談ではあるが、時は過ぎて、平成18年に大学に進学、余暇時間にカラオケ店に行くことも増え、そして友人にL'Arc~en~Cielのライブコンサートに誘われた。TOUR 2008 L'7~Trans ASIA via PARIS~の東京ドーム公演、実はなんと、マイナー曲が多めの公演だったのだが、披露された曲を調べに調べた結果、インディーズ時代(平成4年頃)から直近のリリース曲(当時の直近リリース曲はDRINK IT DOWN)までの全曲を覚えるまでになった。これらは、およそ150曲にも及び、今でも歌うことができる。
 結局のところ、平成20年当時はNEWS(テゴマスを含む)、L'Arc~en~Ciel清春とを聴いていたことになる。
(次回)


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