倖せの総和はみんな同じ、倖せと不幸の辻褄を合わせて生きている

不必要な物欲、倖せと不幸の辻褄合わせ

塾講師のアルバイトで高校生の国語の授業をしているときに、記述問題の解答でこんなのがあった。

倖せの総和はみんな同じで、倖せと不幸の辻褄を合わせて生きているから。

これだけ読んでもさっぱりだと思う。
そもそも「倖せ」ってなんだ??ってなる人もいるかもしれない。

「倖せ」でググってみたけれど、どうにも要領を得ない検索結果ばかり出てきた。
「幸せの横に人がいる」「思いがけない幸せ(ラッキー)」「幸せの合併字(意味は同じ)」等々。

本文の感じからすると、「幸せの横に人がいる」説が一番濃厚な気がする。

それはさておき、『倖せの総和』とは。

その答えを書く前に、「不必要な物欲」についても触れなくてはならない。(これも本文に載ってた)

ほとんどの人には物欲がある。
そして一旦その欲が満たされてしまうと、さらに大きな欲を持ち始める。

そうしていつの間にか人々は、自分の身の丈、器に収まらない「不必要な物欲」を持ってしまう。

「不必要な物欲」まで肥大化させる事なく、自分にとっての倖せを最大限に真っ当する事こそが、『倖せと不幸の辻褄を合わせる』ことなのだろう。

倖せの総和はみんな同じ

『倖せの総和』とは、つまり、「人々が感じる倖せは個々人の辻褄合わせに従い合計値は同じになる」ということである。

億万長者になることが倖せに感じる人もいれば、お金はなくとも倖せな家庭を築くことが大切な人もいる。

人それぞれに倖せの指標はあって、その数だけ倖せと不幸の辻褄合わせが存在する。

(「不必要な物欲」をイコール「不幸」とすることには正直あまり賛同できなかったが、)自分の身の丈にあった倖せを選択し続ければ、その最大値はお金や資産のあるなしに関わらず、みな平等になる。

そのように、たとえどんな暮らしをしていようとも、人々の『倖せの総和』(特にその最大値)は変わりがなくなるのだ。

生徒にした説明も、大まかにこんなもんだった記憶。

偉そうに生徒に教えていたくせに、その実自分は倖せと不幸の辻褄合わせがまるでできていないのがウケる(ウケない)。

僕は物欲がほとんどない。
肥大化する兆しすらないほどに。

ここ一年振り返ってみると、ノースフェイスのポーチを一つ買っただけで、洋服なんかも新しいものを買ったおぼえがない。

強いて言えば、ほとんどやらないアプリゲームに2万円課金したことと、あんまりリアタイできないVtuberのメンバーシップ(月額500円)に加入したことくらいだけど、これも無駄だとは思わなかった。

お金を持ってること自体が自分にとっては不幸のように感じてしまうので、ある程度の貯金は残して、余りはさっさと無くしたい。

僕はこういう、変わり者でひねくれ者なのです。
人付き合いが苦手なのは、こんなふうに倖せと不幸の辻褄合わせの仕方が周りの人とかけ離れているからなのかもしれない。

おわり

サポートがあればすぐ次書きます!!