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人生は選択の連続

人生は選択の連続です。選択肢が無限にあるノベルゲーのようなもの。
人生ゲームのように決まった道を進みながら遭遇したイベントをこなしていくという考え方もあるのかもしれませんが、それでは面白みがない。

かの有名な荒木飛呂彦先生も代表作である『ジョジョの奇妙な冒険』にて、「『道』というものは自分で切り開くものだ」という名言を生み出しています。

無限に広がる世界を、無限に連続する選択を、どのように選ぶかでその人の人生はいかようにも変わります。

選択の基準

人々は人生の選択をどのようにするのか。何を基準に決断をするのか。

マーク式の試験で例えてみます。
選択肢が8つある問題を解くときに、あなたならどう解くか。
まずは選択肢を減らそうと考えませんか?
これはあり得ないな、という選択肢を先に消去しますよね。

人生の選択も同じだと思います。これはないな、という選択肢をあらかじめ消去して、もっとミクロの土俵で勝負します。

ここではじめて、いくつかの選択肢を「天秤にかける」ことになります。

「天秤にかける」

話を簡単にするために、選択肢を2つまで絞れたとしましょう。

その2つの選択がそれぞれどれくらいの幸福を自分にもたらすか。メリットとデメリットを比較する。

もちろんそれぞれの選択が+や−の要素しか持っていないということは考えづらいので、1つの選択に+と−の影響が混ざり合って存在しています。

その混沌とした選択肢を、天秤にかけた場合、どちらに傾くのか。

ここで大事なことは、人によって選択肢の比重が異なること。
全く同じ選択を、+に捉える人もいれば−に感じる人もいる。

人の選択に外から口を出すことは無粋だってこと、分かりますよね。笑
僕は親とかに口を出されるとイラッとします。でもまあ、しっかり聞き入れて自分の中で取捨選択しますけど。

つまり何が言いたいかっていうと、どんな選択でも尊重しましょうってことです。

価値観の押し付け

人の選択を尊重できないことの典型が、ネット上でよく見られる、攻撃的な発言です。

上から目線で人の選択に口を出して、心を傷つける。一体どんな権利があってあんなふうな物言いをするんですか?甚だ疑問です。

「私はこれこれこうなんです」っていうなんでもない個人の自由に対して、「いや、それは間違ってる!こうだ!」ってマウントを取りに行くの、みっともなくてしょうがない。

自分の価値観を人に押し付けたところで、その人は別の価値観に基づいて選択をしているわけで、はっきり言って邪魔にしかなりません。

僕もかつてアドバイスをしているつもりで、自分の価値観を他人に押し付けていたことがありました。良かれと思って色々口を挟んでしまっていました。
でもそれ、逆ギレされるので気をつけたほうがいいです。マジで。

このnoteで一番伝えたいことはまさにこれで、「価値観の押し付け」は差別にもつながります。
自分の価値観を押し付け他人の価値観を受け入れない。そんな人間になってはいけません。

僕はLGBTのような方々を目にすると、好奇の目を向けてしまいます。完全に無意識なものなので、コントロールできません。

でも、そのような方々は僕のような好奇の目にさらされることよりも、自分の主張を心の中に閉じ込めておくことの方が辛かったのかもしれない。

それぞれの選択肢を天秤にかけて、自分に正直でいることを選んだのかもしれない。

ぶっちゃけ、他人の気持ちを完璧に理解しろっていうのは、無理です。だって他人だし。頭の中はのぞけない。

だからこそ、「他人の価値観を受け入れる」ことがみんなができる唯一のことなんじゃないでしょうか。

たぶん日本人はそれがうまくできない。道徳の授業とかで、「他人の気持ちを理解する」ことばっかりを教わるから。
でも結局は理解できなくて、最終的に同調圧力となって周りと合わせるだけの量産型人間が生まれる。

もう大人になってしまった僕たちは改めて徳育教育を受けることはないのだから、一人一人が意識して変わっていくしかないんじゃあないかなぁ、と思った次第でございます。

以上、ご拝読ありがとうございました!

サポートがあればすぐ次書きます!!