自己の生き方分析

先日Twitterで知り合った同い年の子と会ってお話をしました。
すごーく性格的に似ているところがあったので大いに盛り上がりました ^^

こういうふうに人と会って話すことで自分自身のことを言語化するいい機会になりましたので、感じたことを書きたいと思います。

自己評価と客観的評価

初対面だったのでお互い自己紹介がてら雑談を小一時間したのですが、彼は僕のことをけっこう気に入ってくれてた気がします。(違ったら恥ずかしい)
僕は自分がサッカーだけでなく勉強もしっかりやってきたことを伝えたら、彼は僕のことを尊敬すると言ってくれました。素直に嬉しかったです。笑
自分としては勉強はそんなに嫌いではなかったし、ある種当たり前のこととしてやっていたので、改めて周りから褒められると自分に自信が持てるというか自己肯定感が高まるもんですね。

ちょっと話は変わりますが、彼は昨年まで大学の体育会でサッカーをやっていたらしく、僕も現在体育会所属なのでその話で盛り上がりました。
僕は彼のいた大学が強いチームで自分たちより格上だと思っていました。
でも彼からしたら、「学習院強くなったよね」とか「練習試合でボコされて学習院つよ!ってなってたよ」とか言ってもらえたわけで、自己評価と他者からの客観的な評価は必ずしも一致しないんだなぁと実感しました。
こうして人と会うことで、自分でも気づいていない自分の長所や短所を知ることができるので、僕は誰かから会いたいとお願いされたら絶対断らないようにしてます。
どしどしお待ちしてますよ〜。笑

自己信頼感

プライドや自尊心って言葉はあんまり使いたくないんですけど、僕を客観的に言い表す簡素な言葉はそれだと思います。
僕は「プライドが高い」です。
自分がしっくりくる言葉で言うなら、僕は「自分自身のことを疑わない」性格です。
この感情をなんて呼べばいいかわからず、とりあえず "自己信頼感" と名付けました。
単に「プライドが高い」と言いたくない理由は、人の意見を全く聞き入れないわけではなく、取捨選択をすることはできる!と自負があるからです。
僕は自分の人生の選択においてなにが最善かを見抜く力を持っていると思うし、たとえ間違えたところで自分ならなんとかできるから問題ないと本気で思ってます。
人と会って客観的評価を頂くことはもちろん良いことですが、その評価をどう自分に活かしていくかを決めるのは自分自身で、自己信頼感が低いとその判断に迷いが生じます。
先日会った彼と話した時に、ビジネスコミュニティに参加してみたらいいんじゃない?とお誘いをもらいましたが、今の自分には必要ない、必要な時が来たら参加します(ドヤっ)、みたいに生意気なことを言ってしまいました。笑
だけども、僕は周りに振り回されたくはないし、自分のことは責任を持って自分で決めたいと思っています。
その決断の結果どんな人生になろうとも、それを正当に心配する資格があるのは親だけなんじゃないかな?
良くも悪くも、他の友人や先輩方はただの他人であり、NPCの1人にすぎないと考えてます。(ごめんなさい)

行き当たりばったりな生き方

先述の通り、僕は自己信頼感が高いです。
基本的に自分の選択を後悔することはありません。
でもそれは、今書いてて思ったのですが、常に正しい選択を絶対できるという確信ではなく、むしろ不確かな人生を楽しもうとしているからこそなのではないでしょうか。
行き当たりばったりに生きるくらいが自分にはちょうどいいと思ってます。
全てを計算で生きていても楽しくはないし、なにより計算通りに事が進むほど人生甘くない。
その時々に正しいと思った選択をし、その都度軌道修正をしていく柔軟性が、自己信頼感の意義ではないでしょうか。
けどまあ、それはとても独りよがりな考え方であることは理解しているつもりです。
そんな独りよがりでありながら、人の役に立ちたいと思えるのは、ひとえに僕が自分に存在意義を全然感じていないからなんでしょうね。笑

こんなふうに、人生はサイコロの旅みたいなものだと思っている僕ですが、今まで人生で3度だけ選択を誤ったことを後悔して今でも思い出すことがあります。
そう、女心だけは未だにわかりませんね…。

サポートがあればすぐ次書きます!!