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後悔と懺悔

今回は人間関係について僕が思うことを綴りたいと思います。

以前はてなブログのコホートの記事で僕は「あらゆる問題は時が経つことで解決する」という、一見屁理屈のようなことを書きました。(https://shin-catus.hatenablog.com/entry/2019/02/18/005722 )
それは社会問題全般に対しても言えるし、自分自身の問題に対しても同様に言えます。
と言っても、自分自身の問題に関してはただ単に時間が経って、自分がその問題を忘れてしまっていたりどうでもよくなったりしているだけなのかもしれません。

僕はあまり過去を振り返らない性格なので、嫌なことがあって一度散々落ち込んだらもうそのことに関しては気にしないようにしてます。
でも中にはどうしても忘れられない、ふとした時に思い出してしまう苦い思い出もいくつかあります。

その苦い思い出のほとんどが今回のテーマである人間関係から来るものです。

後悔

恥ずかしいし決して人に言えたような話ではないので細かいことは割愛しますが、昔に失敗した人間関係は今でも後悔していてしょっちゅうフラッシュバックします。
「あの時こうしてればよかった」とか「こうしてたら人生変わってたかも」とか思い返しても仕方がないことなのに、違う選択をした世界線の自分を仮想しては落ち込みます。

簡単に例を言うと、告白されたのになんだかよくわからず振っちゃったとか付き合ったのに一度もデートせずに振られたとか、そんなことです。

あとはいじめを見て見ぬ振りをした、とか。

楽しそうにしてる人や人間的にカッコいい人を見ると、自分もこうなれるチャンスがあったのになぁとしみじみ思います。

今の自分が嫌いなわけではなく、自分がそれなりにいい人間であるという自負もあります。
だけどそれでも、たった一度の自分の不都合で相手を嫌な気持ちにさせてしまうことは心苦しいし、それをよしとする人間にはなりたくない。

人を傷つけてしまうことは時には仕方のないことだけれど、その度に後悔し、成長していくことが良い人間であるために必要なことではないでしょうか。

罪悪感

後悔と同時にやってくる感情が、罪悪感です。

僕は昔、とても強く人を傷つけたことがあります。(便宜上、その人をAと呼びます)
周りの友達と一緒になって軽い気持ちでやった行動が、実はAさんの尊厳を踏みにじる行為でした。
僕がそれに気づいたのは半年経った後くらいで、伝言ゲームのようにAさんの知り合いを何人か回って、全然別のグループの人からAさんが傷ついていたという事実を知りました。

「気づいた」とかって言い方はとても傲慢かもしれません。
誰がどう見てもAさんが傷つくのは当たり前なことをしたのに、僕はその事実から自ら目を背けていたのでしょう。

結果的に、またその人づてに「Aさんはもう君のことはどうとも思ってないらしいよ」と伝えられ、一旦その話はここで終わりました。

でも僕の中ではこの話は決着してません。
もちろん今も。
後にAさんと顔を合わせる機会が何回かあったけれど、謝る勇気が出ませんでした。
どんな顔をすればいいか、何を言えばいいか、何も分からなかった。
Aさんは以前と同じように親しく振舞ってくれたことが、なおさら僕に罪悪感を感じさせました。

自己満足

ここまで長々と自分語りして、途中で読むのをやめちゃった人もいるかもしれませんが、一番伝えたいのはここからです。

人間関係っていうのは難しいですが、基本的には自分本位で回っているものです。
自分が気持ちよくなれる居場所を求めるし、逆に不快な人間関係は断ち切れる。

だから僕は、人間関係に関して後悔することでさえ、自己満足だと考えます。

後悔するということは、懺悔したいということ。
心のどこかで許しを求めているのです。

でも実際に傷つけられた側からしたら、それはもうすでに「断ち切りたい人間関係」なのかもしれない。

僕の好きな作品に、こんな台詞がある。

あなたたちはヒナタが学校やめて辛くて苦しくて、あなたたちのこと恨んでると思っていたかもしれない。
毎日部活の事思い出して泣いてると思っていたかもしれない。

けど、ヒナタはもうとっくに前を向いて、もうとっくに歩き出しているから!
私達と一緒に踏み出しているから!

あなた達はそのままモヤモヤした気持ちを引きずって生きていきなよ!
人を傷つけて苦しめたんだよ?
そのくらい抱えて生きていきなよ!
それが人を傷つけた代償だよ!

これだけ書いても訳がわからないかもしれないけれど、ここでいう【あなた達】は【ヒナタ】を裏切って傷つけた張本人。
ヒナタはそのせいで部活を辞め、学校も辞めます。
そのヒナタに対して謝罪しようとした部員に対して、第三者であるヒナタの友人が発した台詞です。

人を傷つけた事実は、簡単には忘れられない。
ずっと後悔して、謝って許されたいと思うでしょう。
僕もそうです。

でも実際は、もうその人は前を向いているかもしれない。
傷つけられた側はとっくに新たな一歩を踏み出しているかもしれない。
謝罪して許されたいというのは、もしかしたら、相手の足を引っ張るだけの自己満足なのではないでしょうか。

「そのくらい抱えて生きていきなよ!」
「それが人を傷つけた代償だよ!」

この言葉が僕には深く刺さりました。

タイミング

じゃあ、どうすれば良かったのか。

起きてしまったことは仕方がないし、自分が至らなかったのが原因なので避けられる問題ではないです。
今の僕ができることといえば、同じことを繰り返さないように人間として成熟すること。

でもそうなると、一旦断ち切られた人間関係は修復が困難になります。
懺悔することは相手の足を引っ張りかねない行為だから。

自分で断ち切れると書いておいてなんですが、人間関係っていうのはそんなに簡単に切り捨てていいものではありません。
できるならば関係を良くする努力をしなければならない。
それが未来の幸せに繋がるかもしれないから。

重要なのは、タイミングです。
ほんの些細なすれ違いでさえ、人間関係に大きな溝を作る可能性があります。
すれ違うことは仕方がないけれど、溝を埋めることを後回しにしてはいけません。

きっと今ある人間関係も、細い糸で繋がっているような状態で、ほんの小さな力でも切れてしまう。

謝れるのは、糸が切れる前までです。
もしあなたが人間関係で失敗したなら、謝るタイミングを大切にしてください。

じゃないと、一生後悔することになるかもしれません。

おわりに

ごめんなさい、長くなっちゃいました。
ここまで読んでくれた方は、本当にありがとうございます。

またまたシリアスな記事でなんか意識高い系ブロガー(笑)って感じがしますね、、

趣味や日記程度に思って書きました。
でもこの記事が誰かの助けになることがあればそんなに嬉しいことはありません。

文章を書くのは楽しい。
おもしろいと思ってもらえているかは分からないけれど…

以上、ご拝読ありがとうございました!

サポートがあればすぐ次書きます!!