『シアワセ』SUPER BEAVER

小さなシアワセなら 見落とす事もない程
いつも側に あるのだけど
.
何も見たくないと 自分で目を塞いで
何も見えないとか 馬鹿な事を言う
.
張り裂けそうな 心の奥に
これで良いのか 問いかけた
思い返せば 確かな事は
あの日から 変わらなかった
.
僕が君に伝えたい たくさんの言葉は
いつの間にか 意味を変えて
大切なモノになった
.
例えば昨日までの 自分に嘘をついて
手にするシアワセも ありなのかな?
.
張り裂けそうな 心の奥が
それじゃ駄目だと 僕を殴る
思い返せば 確かな事は
何一つ 変わってなくて
.
僕が見せたあの日の 覚悟は迷いながら
いつの間にか 重さを変えて
僕の事支えていた
.
漠然とした 未来の中に
僕が望んだ 瞬間が
来るのだろうか? 答えはいつも
僕だけが 知ってるはずで
.
僕が君に伝えたい たくさんの言葉は
いつの間にか 意味を変えて
大切なモノになった
.
誰もが抱いてる 矛盾のその先に
僕にとって
君にとっての
シアワセが 待ってるだろう
.
歌:SUPER BEAVER
作詞:柳沢亮太
作曲:柳沢亮太


こんにちは、しんです。

久しぶりにまともなnote書きました。笑
昔の記事をおもしろいと言ってくださった方がいて、続き書かないんですか?みたいなことを言われたので少しだけやる気出しました。

前回が昔すぎてどんな感じの書き出しをしていたか忘れてしまいましたが、今回はSUPER BEAVERの『シアワセ』という曲について書こうと思います。

歌詞がいいので有名なSUPER BEAVERですが、つい最近「THE FIRST TAKE」というYouTubeチャンネルで自宅録音を投稿していました。
先々週くらいの夜にふとテレビをつけたら特集がやっていたこともありました。
「らしさ」が一番好きな曲ですが、その頃より今の方が一般人気も出てきているような気がします。(古参アピール)

爽やかながらも熱いサウンドで、心にグッとくる詞を歌ってくれるとても素晴らしいグループです。
前述のYouTube動画で見たボーカルの柳沢亮太さんのルックスがなかなかにV系よりで、歌とのギャップを感じるところにもまたグッときました。笑

はじめてこの曲を聞いた時、歌い出しからこの曲の詞に心を奪われました。

『小さなシアワセなら 見落とす事もない程 いつも側に あるのだけど』

僕はいつも後ろ向きで、すぐに落ち込む人でした。
だから他人のことばかり羨んで、自分を卑下して悩んで…みたいなことの繰り返し。
そんな時にこの曲を聴いて、「小さなシアワセ」というものがあるんだ、と気づかされました。
僕はいつも、簡単に手の届かない大きな大きなシアワセばかりに気を取られて、足元に落ちている些細な幸せを見つけることができていなかったのです。

そしてそれが、「気づかなくて見落としていた」だけではなく、『何も見たくないと自分で目を塞いで』いたことを知りました。
見えなかったんじゃなくて見なかったんだ、って。

この違いって側から見たらわかりづらいかもしれません。
昔、学校の先生にこんな話をされました。
「道端のゴミを拾える人と拾えない人、どっちが良い人だと思う?」
それは当然拾う人だ、と僕らは答えました。
そしたら先生はこう続けました。
「拾わない人よりももっとダメな人がいる。それはゴミが落ちていることにすら気づけない人だ」

「拾わない人」と「気づけない人」って同義のように思うかもしれないけれど、落ちてるゴミにすら気づけない人っていうのはそこにゴミがあるなんて思いもしていないんです。可能性すら考慮してない。
ゴミが落ちてるのに気づいたにもかかわらず拾わない人っていうのもまたよくないですけど、そういう人はもしかしたら少しの努力で変われるかもしれない。
「ゴミが落ちていることに気づく」ってことは、それだけで次のステップへの一歩目なんだと僕は思います。

フワッと説明するとこんな感じで、「シアワセが落ちていること」に気づくか気づかないか。
僕は「気付きたくなくて目を背けていた」んです。
でもどんな小さなシアワセでも、案外すぐ側に落っこちているものです。
何かを成し遂げたくて背伸びしてしまうことも時にはあるけれど、もっとしょーもないことでもいいので、沢山のシアワセを感じ取れる人の方が素敵だなって。
今はそう思っています。

これはサビらへんを聞いててなんとなく思ったことなんですけど、誰しも覚悟とか決意をする時ってあると思います。
「明日から勉強する!」とか「絶対人の役に立つ仕事をする!」とか。
大抵は三日坊主になってしまうんですけど…。

ただ、漠然とした未来の中には、どんな時でもいつしかの自分が思い悩んで決めた道がうっすらと見えるはずなんです。
それこそ「見ようと思えば」ですけど。

当時は深く考えないながらも漠然と思い描いていた自分の理想像があって、ふとした時にそこを振り返ると、当時の感情とはまた少し重さを変えて、でも同じところへ続いている道を歩むことができるんじゃないかなぁ…。

僕は高校生の時に、社会に役立つ仕事がしたい、と漠然と思って国際社会科学部に進学しました。
結果的には公務員になろうとして、院進しようとして、最終的には全部諦めて今は別の大学で教員免許を取ろうとしています。
すごくフラフラして行先の決まっていないようだけど、いつも根幹にあったのは「社会の役に立つ仕事」です。
それが、ほんとに社会に出る時に近づくにつれて、だんだんと重みを増して現実感が生まれてきているだけなのかなぁと思ってます。

まあ、まずはしっかりと大学の単位を取って卒業して教員免許とって就職しないといけないんですけどね…。
先はまだ長いけど、コツコツ頑張ります。


おわり

サポートがあればすぐ次書きます!!