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キューバ旅行の思い出。~君の名は?~


2017年~2018年。初めて異国で年を越した。日本から約12000kmも離れたカリブ海に浮かぶ島国。キューバ。

正直12000kmと言ってもピンとこない。

東京からトロントへ12時間。そこで乗り継ぎハバナへ3時間半。

フライトの遅れもありトロントでは4時間程待機。

約20時間と考えるとやはり遠い。

ハバナのホセマルティー空港へ到着したのは深夜0時を回っていた。日本は真冬だがここは常夏の島。

風は生暖かく湿気が肌にまとわりつく。

改めて遠くへ来たことを感じた。

なぜキューバの思い出をつづっているかと言うと

今日、ニュースで『ラウルカストロ氏の引退表明』の記事を見たからだ。


キューバでは驚きの体験がたくさんあった。

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通りを歩けばクラシックカーがモクモクと排気ガスをまき散らしていた。

公園のベンチに座っていれば、おじさんがラム酒をくれた。

100円ライターを直す仕事をする人がいた。

持っていたボールペンをプレゼントしたら、とても喜ばれヒーロー扱いされた。

他にも日本では考えられないことがたくさんあった。


キューバはこれから変わっていくのか

キューバは社会主義国としてやってきた。

教育、医療、食料、住居などは無料なようだ。

だから基本的には物乞いやホームレスはいない。

素晴らしい制度であるが、みんな等しく貧しい。

贅沢とは程遠い生活をしている。

道は穴ぼこだらけだし、建物は古く今にも崩れそうだ。

車は頻繁に故障するようで、修理を繰り返し1950年代の車を今も大事に乗っている。

慢性的に物資が不足しているので、ライターを修理するの頷けるし。

ボールペンをプレゼントしただけでヒーローになれたのも納得だ。

これからは社会主義国からの転換も、徐々に始まるのだろうか?

変わらないキューバでいて欲しいと思うことは単なるエゴか?

キューバ人だって今の暮らしに満足しているのか?

医者とタクシー運転手の給料はあまり変わらないという話を聞いたことがある。

むしろ観光客から兌換ペソ(外国人用の通貨)が貰えるので、観光業に従事する人の方がリッチだったりする。

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マレコン通りを歩いていると、3人組の集団に『俺たちの演奏を聞いてくれ』と呼び止められた。

先に、お金は払わないという旨は伝えた。

それでも構わない。ということだったので、彼らの決して上手とは言えないセッションを鑑賞した。

演奏が終わると間髪入れずに。

マネー。マネー。マネー。

やっぱりか(笑)

最低限の生活は保障されていても、当然お金は欲しい。

人間だもの。


観光客はキューバ人の助け合い精神、ホスピタリティー、過去にタイムスリップしたかのような古い街並みを求めている。

僕もそうだった。

しかし、彼らもより良い生活をしたい。お金を稼ぎたい。

そう思っているに違いない。人間には欲があるのだから。

だから変わらないキューバを求めることは、単なる観光客のエゴであろう。

僕はそう思う。

子供たちの笑顔がこれからも続けばそれでいい

子供たちとは、ハバナで過ごした3日間で毎日遊んだ。

公園でサッカーをしたり、ダンスしたり、写真や動画を撮ったりした。

名前も聞いたが忘れてしまった。

日本から持って行ったサッカーシャツをプレゼントした。

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私が所属する社会人チームと日本代表のシャツをあげた。

今も誰かが着てくれていたら、すごく嬉しい。

捨てられていないことを祈ろう。

キューバにも自由経済が導入され、資本主義社会になったら。

貧富の差が生まれる。

キューバがこれからどう変わるかを考えても仕方がないし、正直僕には関係ないことだ。

しかし、僕はキューバ人のホスピタリティーに癒された。

彼らのことが好きだ。

殺伐とした日本の社会で感じていた閉塞感を一瞬でも忘れさせてくれた。

将来、あの子たちが立派な大人になり、幸せに生活してくれていたらそれでいい。


彼らにとって僕は、3日間一緒に遊んだだけのハポネスだ。

そして再び会うことはないだろう。

もし古くなった服を処分するときがあったら、サッカーシャツは捨てずに思いとどまって欲しい。

そして名前も知らないハポネスと遊んだ3日間を思い出してくれたら嬉しい。

これから変革期を迎えるであろうキューバ。

いろいろなことが変わっていっても。

彼らの記憶の片隅に、僕を残していてくれたら嬉しい。

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君の名は?

名前聞いとけばよかったー。。。

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