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私は過去の記事でも何度か書いたように、 トランスジェンダーとかLGBTといった言葉は、 基本的にあまり好きではありません。 多種多様な人が居てひとりひとり違うのに、 ひと括りにされている感があるからです。 なので、あくまでも 「私は私です。」 が本来の正解だと心では思っています。 でもそうは言っても、自分の事を説明する際には、 以前の記事でも書いたように、 「周囲の人に解りやすい」 という、便宜上の理由で、 トランスジェンダーと名乗っています。 ただ時々、トラ
友達や仲間などに何かをする際、よく 「○○してあげるね」 「○○してやるよ」 と言う事があると思います。 私はこの「してあげる」とか 「してやるよ」と言うのを 「させて頂く」 と心の中で思う様にしています。 私もかつては「してあげる」と よく言っていたし、心の中でも そう思っていました。 ただ50年近く生きてきた中で、 この「してあげる」という気持ちで、 人に何かをした人で、成功したり 人生が好転した人を、あまり見た事がありません。 これはなぜなんだろう?と思
「多様性」という言葉が 昨今ではよく聞かれます。 特に私は当事者の一人なので、 余計多く耳にしたり目にするのかもしれません。 しかし、私はこの言葉を 見たり聞いたりするたびに 何か違和感を感じます。 それは何なのだろう?と考えました。 するといくつか理由が出て来ましたので、 今回は私の私見をお話したいと思います。 あくまでも「個人的私見」ですので、ご容赦を。 ①「多様性」への違和感多様性という言葉への違和感ですけど、 これは昨今の使われ方に対して感じます。 多様