見出し画像

本紹介『嫌われた監督』

 周囲に惑わされず、自分の道を進みたい。でも、つい他者の意見が気になってしまう、自分の生き方を貫き通せない。そんな思いを日々抱いている人にとっては、参考になる本かもしれない。こんな男たちの生き様もあるんだよと、そっと脇から声をかけてくれるような本。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。元日刊スポーツ記者の鈴木忠平氏が描く世界観は、取材対象である中日ドラゴンズの監督・選手との距離感(俯瞰と近接)が絶妙だ。

 本の主人公は、落合博満だが、その輪郭が12人の男たち(川崎憲次郎、森野将彦、福留孝介、宇野勝、岡本真也、中田宗男、吉見一起、和田一浩、小林正人、井手峻、トニ・ブランコ、荒木雅博)のフィルターを通して語られる。

本書の見どころのひとつは、著者である鈴木忠平氏自身の変容ではないかと思う。記者の末席にいて、自分の意思がない記事を書き、デスクが見出しを決めて翌日の記事が決まる日々。組織人としての自分と、目の前にいる選ばれし選手達の対比。しかし、ある日落合博満にかけられた言葉によって、鈴木氏の思考・行動は変わっていく。言葉の真意・本質を深く見極めようとし、誰から頼まれたわけでもないのに、落合宅を訪問し、落合博満の言葉の真意、その本意を探ろうする。「お前、ひとりなのか」そう落合に言われ、同じタクシーに乗るまでに最後はなった。

 本書が優れているのは、例えば著者の鈴木氏と同い年の福留孝介選手に関する記述である。

甲子園でもプロ野球でも、常に注目を浴びてきたスター選手と末席の記者ではそもそも勝ち取ってきたものの数からして違うのだが、それよりも決定的なのは、これまでに捨ててきたものの差であるような気がしていた。


鹿児島の強豪校の監督からは、もし他県の高校に行くなら、弟が県内で野球をできないようにしてやると脅迫めいたことまで言われた、15歳の福留。しかし、自分の意思で、大阪PL高校へ進んだ。その後の活躍は周知の通り。


親には、事後報告だった。立っている場所や与えられたものに拘泥することなく、むしろ捨て去ることで前に進んできた。そして今、感情を捨て去ってさらに高みへ登ろうとしている。

不必要なモノを削ぎ落としていった男たちのドラマ。ひとつひとつの意思決定の重さ。文章を通して、その緊張感がひしひしと伝わってくる。全章面白い。


世の中にあふれている落合博満評は、『オレ流』の言葉が有名であり、万人に受け入れられるような人気者タイプではないどころか、言葉を尽くして他者に語るようなタイプでもない。星野仙一氏のように情熱を前面に出すタイプでもない。『得体が知れない』『何を考えているかわからない』『孤高』そんな言葉のイメージが多いだろう。接していた選手達の中には、そう感じていた者もいたかもしれない。

 初めて監督に就任して、一人のクビも切らなかった。1年かけて川崎憲次郎含めて13人を解雇した(通例では成長スペースがあるため、3年以内の若手のクビは切らないが、落合は2年目の選手も解雇した)。また、7人のコーチとの契約解除し、球団スタッフとも袂を分かっている。そんな非情とも言われかねない落合だが、これと見込んだ選手に対してはとことん向き合う姿勢も見せている。第二章の森野将彦の章には、不動のサード立浪和義に挑む森野に対し、とことんしごく落合の姿も詳細に描かれている。ミスタードラゴンズと言われ、それまでどの監督も事前の本人への通告無しで先発を外したことはなかった立浪に対しても、落合は容赦しない。

自らの哲学を変えることはなく、選手とは食事には決して行かなかった落合。


8年間の監督在任期間中、ペナントレースですべてAクラスに入り、日本シリーズには5度進出、2007年には日本一に。その裏では、どんな意思決定がなされ、落合は、選手たちは、何を考えていたのか。

ヒリヒリするような毎日。孤高に生きる男たち。

そんな男たちの深い人間ドラマが、冷静な筆致で描かれている。


プロローグ 始まりの朝
第1章 川崎憲次郎/スポットライト
第2章 森野将彦/奪うか、奪われるか
第3章 福留孝介/二つの涙
第4章 宇野勝/ロマンか勝利か
第5章 岡本真也/味方なき決断
第6章 中田宗男/時代の逆風
第7章 吉見一起/エースの条件
第8章 和田一浩/逃げ場のない地獄
第9章 小林正人/「2」というカード
第10章 井手峻/グラウンド外の戦い
第11章 トニ・ブランコ/真の渇望
第12章 荒木雅博/内面に生まれたもの
エピローグ 清冽な青

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?