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【お勧め本】じんかん(今村翔吾著)

 なぜ織田信長は、松永久秀の謀反を二度までも赦したのか。自分への裏切りを決して許さない、あの信長が。そこには理由があるはずだ。そのヒントが、信長自身が部下に語る松永久秀の半生という形で、本書は展開されていく。

本書のあらすじや書評は下記を参照。

 リアル感を伴う筆致で書かれた文章は、松永久秀が生き抜いた時代に、読者を没入させていく。500年後を生きる我々に、己の生き方・己の役割を問いかけてくる。お前は、どう生きるのか?と。

 私が惹きつけられた文章達は下記。

"理想は何か?民が政を行うことだ。"

"無常たる時は頭上を通り過ぎてゆき、人は一生の殆どを忘れるいきもの。それを忘れぬよう心に留める栞(しおり)になるとな。"

"世に出た後の事だけを見て、その前には興味を示さぬ。それは人も同じことよ。"

"己の役割とは、何か。"

"全ての者は死なば生前の行いによってどこかの階層に輪廻転生する(注記:無色界(4)、色界(18)、欲界(6)に分かれているとする六道の教えより) 。人間界は善悪の坩堝。決して過ちを犯さぬほど賢くもないが、それを良しとするほど愚かでもない。迷い苦しみながら生きている者の住む世。人間の中に修羅(武士)が現れ、世は一変した。戦国とは修羅が跋扈する時代。全ての修羅を駆逐し、愚かな負の連鎖を断ち切る。"

"無から何かを生み出すのは大変。それに比べれば模倣は易しい。昨日までこの世に存在しなかったものを、名さえついていなかったものを生み出す。人の一生における快事ではないか。"

"これほどの戦乱を引き起こしておきながら、己だけは死にたくない。そんな武士の心が足軽という便利な消耗品を作り出した。"

"茶の湯というものは、常に相手の望むものを汲み取って応える。だが戦はその逆に、相手の望む展開を汲み取り、それを全て裏切ればよいと悟ったのだ。"

"天下を取っても、人間に蔓延る恐れ、憎しみ、妬み等、様々な感情が渦をなして襲い掛かる。そして身を滅ぼす。天下に近づけば近づくほど、目に見えぬ意思のごときものに邪魔されているような気がしていた。"

"理想を追い求めようとするじんかんなど、一厘にすぎぬ。九分九厘は変革を恐れて大きな流れに身をまかすのみ。"

"あやつも、人間に不自由しておるな。"

"夢に大きいも小さいもない。お主だけの夢を追えばよいのだ。"

 自らが生きる社会の身分制度や構造を否定して、あるべき理想の形を追求しようとする、三好元長。彼の語る理想の社会の姿に魅せられ、吸い寄せられていく松永久秀をはじめとした家臣たち。人間の愚かさ。人心をいかにコントロールするか、世論がいかに形成していくのか、虚構の世界を作り出す側、翻弄される側。今の時代にも通ずるものが物語を通して描かれている。

 戦国時代であっても、今の資本主義社会であっても、社会を構成する人間自体は、大して賢くなってはいないのかもしれない。作られた世界、価値観の中で生き、それに疑問を持たずに死を迎える者が大半だ。己の役割なんて、考えた事もない、問い方すらもわからない。

 一方、時代を変える者、時代を切り開く者が出てくるのも人類の歴史である。異国の動向に関心を払い、世界を俯瞰して捉えようとし、自らの理想を掲げ、理想を実現しようと邁進する者達。織田信長も、そんな人物の一人だったに違いない。ゼロベースで物事を考え、身分に捉われず、能ある者を登用し、商業を重要視し、茶という虚構の世界をも作ろうとした。いち早く海外の動向に学び、好奇心を形にしていく。そんな信長に、松永久秀はその生き方において一目置かれていたのではないか。アイツのしてきたこと、胸に秘める想いが俺にはわかると。

 自分の、今の時代に生を受けた役割とは、何だろうか。100年を生きる時代になり、身近に死を感ずる機会は、500年前の戦国時代(平均寿命は約50年、明日戦で死ぬかもしれない)と比較し、大きく減っている。1日1日の生きる事に対する熱量も変わってしまっただろう。それでも、死に向かって今日も歩いている事には変わりはない。

 松永久秀の例を挙げる間でもなく、人の評価など移ろいゆくもの。世の中は、取るに足らない批評家だらけであり、実行者は1%にも満たない。用意された生き方を全うして一生を終えるのか、価値あると己が信じる生き方を追求するのか。誰もが大事を成しうる事はできない。己の持ち場で、己の役割を果たすだけだ。

 自分の生きている世界を、少しでも俯瞰して見たり、時代の変遷を意識しながら見てみる。そんな試みをするには、ぴったりの本である。己の役割を、自分の生き方をしたいと思う人には、感ずるモノがある一冊。

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