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明治の唱歌を合唱ソフトに唄って貰う496

三 近代教科書アーカイブ 發兌 大日本圖書株式會社
(M26.8.15印刷M26.8.18発行)
巻之三下
3-b22


慎言謙譲
作曲者 未詳
作歌 鳥山譲 樂石居士


浅(あさ)き瀬(せ)にこそ波(なみ)は立(た)て
深(ふか)き淵(ふち)こそ静(しづか)なれ
人(ひと)も言葉(ことば)の多(おほ)ければ
心(こころ)のそこぞ現(あら)はるゝ

高(たか)き木(き)にこそ風(かぜ)は吹(ふ)け
岸(きし)のを草(ぐさ)は露深(つゆふか)し
人(ひと)も誉(ほまれ)れの高(たか)ければ
うき世(よ)のあらしぞ吹(ふき)すさむ

慎言-謙譲
・此曲の調號を見て、何の調なるを判じ、且つ其理由を言へ。
・「イ」調なり。其理由は、此調號には、三個の嬰(#)ありて、其最末の者は、「ト」音に位し、「ト」音の直に上は、「イ」なればなり。
是に於て、教師、調號として現はるゝ嬰記號の關係を説き示さん爲め、問答を設け
て、「ト」調に於ては、「ヘ」音に嬰を置き、次に、「ニ」調に於ては、更に一個の嬰を増して、之
を「ハ」音に置き、、今「イ」調に於て、又、一個を増して、「ト」に置けり。依りて、新加の嬰の音
位を察するに、「ヘ」と「ハ」とは、上に五度を隔て、「ハ」と「ト」とも、亦上に五度を隔つるこ
とを悟らしめ、即ち規則を授けて曰く、
調號として、現はるべき嬰は、毎に上五度を隔てゝ出づるものなり。
[注意]此曲を授くるに當り、第三節の下行六度と、第七小節の上行短六度とは、
特に注意すべし。

此歌、第一は、慎言の意を知らせたるなり。古今集に、素性法師の歌に、「そこひなき淵や
はさわぐ、山川の、あさき瀬にこそ、あだ波はたて」とある其意をとりて、人も、言寡きは、
思慮の深きを示すものなれど、多言なるときは、其人の心の奥底もみえて、人に輕蔑
せらるゝものぞ」といへるなり。
其第二は、謙譲の要をよみたるにて、古語に、「喬木爲˻風折」とあり。又、西説に、樹と葦との
強弱の寓言などあるに基きて作れるなり。・「浮世のあらし」といへるは、人、名聲高
き時は、随て種々の憂苦、一身に聚りて、恰も秋風の、颯々と金氣を帶びて、すさみ來るが
如きものなれば、常に謙譲の徳を積み、以て其身を全うすべし」との意なり。

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