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明治の唱歌を合唱ソフトに唄って貰う519

四 近代教科書アーカイブ 發兌 大日本圖書株式會社
(M26.8.15印刷M26.8.18発行)
巻之四下
4-b21


高き譽
作曲者 未詳
作歌 佐々木光子


染(そ)めし紫(むらさき)なつかしく
松(まつ)の操(みさを)のいろ深(ふか)く
高(たか)きほまれは今(いま)も世(よ)に
語(かた)りつたへて
かぐはしや

簾(すだれ)かゝげし朝(あさ)の雪(ゆき)
草(くさ)の庵(いほり)の夜(よる)の雨(あめ)
たかき譽(ほま)れは今(いま)もよに
かたり傳(つた)へて
しのばしや

高き譽
此曲も、亦二個の調よりなる。其主調音の、「ホ」の長調なるは、調號と、第一・第二、及び第四段
の末音の、「ホ」なるとによりて、之を知り、其附屬調の、「ロ」の長調なるは、第三段に至り、嬰
「イ」を加へて、五嬰の調號となしたると、其末音の、「ロ」音なるとによりて、之を知る。是れ即ち
前に述べたる、正當の規則に随ひて、主調より、屬和絃調に轉じたるものなり。其教授
法、前數曲に准ず。
[注意]此曲も、三拍子なれば、特別の練習を要す。其歌旨は、次に見ゆるが如くなれ
ば、特に注意して、其事績を講話すべし。

此歌、第一は、紫式部を詠じ、第二は、和泉式部を詠じたるなり。{和泉式部→清少納言?}
紫式部は、式部丞藤原爲時の女にて、一條天皇の中宮(彰子)上東門院につかへ奉りし
とき、若紫と呼ばれしより、父の、式部丞なりしを以て、紫式部と稱せり。才學、世に傑れ
しかば、「源氏物語」五十四帖を著はして、これを奉れり。初め、藤原宣孝に嫁して、夫に後れ
たり。終始、貞操を全うして、婦女たるの徳を修めしことは、自著の日記にくはし。

此歌の意は、其名を、「紫」といひしゆえ、「そめし」といひ、貞操、全たかりし故、「松のみさを」
にたとへて、今の世にも賞揚するをよめるなり。

清少納言は、肥後守清原元輔の女なり。一條天皇の皇后(定子)に宮づかへして、才學、當
時に聞え、紫式部と竝べ稱せられき。其著に、「枕の草子」あり。是れ亦、紫式部が「源氏」と竝稱
せらる。

此歌に、・「簾かゝげしあさの雪」は、「「香爐峰の雪は、いかならん」と仰せられければ、
御格子あげさせて、御簾、高く巻きあげたれば、笑はせたまふ」と枕草子にかきたる
をとりいでたるなり。・「草のいほりの夜の雨」は、或時、頭中将齊信といふ人、少納
言が才學を試んと思ひて、「蘭省の花の時錦帳の下」とかきて、使に持せて、あとは、いかにと
急がせしに、少納言、「廬山の雨の夜草菴の中」とかゝんは、かど乀しと思ひて、消し炭のかけ
にて、「草の廬を、たれかたづねん」と書きてかへしたりと云ふ、名高き二つの話をと
りいでゝよめるなり。

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