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明治の唱歌を合唱ソフトに唄って貰う507

四 近代教科書アーカイブ 發兌 大日本圖書株式會社
(M26.8.15印刷M26.8.18発行)
巻之四上
4-a09


我宿
作曲 ライトン氏
作歌 山田美妙


ゆかしく樂(たの)しき我宿(わがやど)かはらぬすがたの花園(はなぞの)
み親(おや)の涙(なみだ)のなさけは遍(あまね)しぬれては色(いろ)ますもろ袖(そで)
ゆかしく楽(たの)しきわが宿變(やどかは)らぬ姿(すがた)のはなぞの

勇(いさ)ましたのもし我宿嬉(わがやどうれ)しさ言葉(ことば)に盡(つき)せず
かよわき板戸(いたど)のひとへの隔(へだて)は浮世(うきよ)の波風(なみかぜ)よそにて
いさまし頼(たの)もし吾(わが)やどうれしさことばに尽(つき)せず

なつかし愛(あい)らし我(わが)やど優(やさ)しき情(なさけ)のみちみつ
手植(てうゑ)のめぐみにこたふる心根笑顔(こころねえがほ)を示(しめ)せる艸花(くさばな)
なつかし愛(あい)らし吾宿(わがやど)やさしき情(なさけ)のみちみつ


我宿
・此曲は、何調なりや。
・「イ」調なり。
・今、此調號に、尚ほ一個の嬰を加へんには、何の音位に置くべきぞ。
・「ニ」の音位に置くべし。
・何故に。
・調號に現はるべき嬰は、毎に前者に對し、五度の音位に置かるべき通則あればなり。
・然り。而して、其調は、何となるべきか。併せて、其理由を述べよ。
・「ホ」調となるべし。何となれば、主音は、常に新出の嬰音の、直に上一度に在るべき通則なればなり。
斯の如く、豫め問答し置き、本曲の練習に移り、進て、第四段に至るとき、其第二小節
より、段末に至る迄は、轉調に屬し、主調「イ」より、屬和絃たる「ホ」調に轉じたるもの
なることを知らしむべし。
[注意]第四段の第一小節に現はれたる嬰「イ」は、所謂經過音にして、主音を動搖し、
轉調の豫備を爲したるに過ぎず。又、此音は、「1」の半音高きものにして、數字唱號
にては、「トー」と呼ぶへし。

此歌は、父母の在したまふ我宿ほど、世に樂しく嬉しきはなしとの意を叙したるに
て、其第一に、「ぬれては色ます、もろそで」とあるは、親の、子を思ひ給ふ「情は洽し」と云ふ
上の句を承け、その親たる人の涙の露に濡れては、同じく感じて、子も、袖に、涙を堪へ、
しかも濃なる涙なれば、濡れし雙袖の色さへかはりて、いかにも床しく樂しく覺ゆ
るは、我宿なるぞ」となり。
其第二に、「うき世の波風よそにて」とあるは、世間に、呑噬は、逞ましく行はるゝとも、唯
我父母の家のみは、我を愛する人の在して、恵を垂れ給ふことゆえ、世の中のあらき
波風も、我家の板戸の内には吹き入らず。即ち世の波風は、餘所に聞く」と云へるにて、一
重の板戸は、かよわきが如くなれど、其思は、いと厚しとなり。
其第三に、「ゑがほを示せるくさ花」とあるは、親の情のこまやかなるを、感じ知りて、之
にこたへ奉るべきは、また子たるものゝ道なるべし。天の雨露を受けては、その恩に
感じて、草花なんども、麗しき色を示し、静に天命を樂しむが如く、「やさしき情の充ち
滿つ」る我家と云ふ花園に在りて、親の「手植の惠にこたふるこゝろね」を持ち、いそゝ
ゝとして、子も、亦草花の如く、笑顔を示す」となり。

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