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明治の唱歌を合唱ソフトに唄って貰う512

四 近代教科書アーカイブ 發兌 大日本圖書株式會社
(M26.8.15印刷M26.8.18発行)
巻之四下
4-b14


小督
作曲者 未詳
作歌 稲垣千穎

こゝもうき世(よ)の
嵯峨(さが)のおく
峯(みね)のあらしも
音(おと)さえて
軒(のき)もる月(つき)は
いとゞしく
雲乃上(くものうえ)こそ
しのばるれ

小督
此曲は、「ト」調にして、生徒の、既に熟習せるものなれば、温習を主として、之を授くべし。
尤も其歌題も、優美なるものなれば、唱法も、其點に注意するを要す。又、小督の事蹟の大
略は、次の歌詞解釋に依り、之を講話すべし。詳しくは、源平盛衰記に在り。就きて、見る
べし。

小督は、櫻町中納言重範卿の女にて、高倉天皇に仕へられけるが、當時の中宮(徳子)は、
平清盛の女なりければ、清盛、中宮の御爲あしかりなんと思ひて、強ひて、小督を斥け
んとしけるゆえ、小督は、之を憚り、夜にまぎれて、禁中を忍び出で、洛外なる嵯峨の奥
に、身を潜めけり。主上は、此由を聞し召され、不憫に、慕はしく思ぼしめされて、折しも
八月十五日の夜、當直にてありける、彈正忠仲國を、御使にたてられて、御書を賜はり
ければ、仲國は、寮の馬に乗りて、急ぎ嵯峨野の邊に至り、幾回もうちめぐりて、竟に龜
山のほとりに至りける時、遙にきこゆる琴の音を、しるべに尋ね行きて、御書をまい
らせけり」と云ふ故事によりて、其時、小督のしらべられたる琴曲と、その心中を想像
して、此歌をば作れるなり。
・古書に、不詳、不善などと書きて、「さがなし」とよめるゆえ、地名の嵯峨にかけて、「こゝ
もうき世のさがのおく」とよみ、世の中のさがなきを歎けるなり。・「峰のあらし」の
「さゆる」につけ、「軒もる月」のふくるにつけても、九重の中にありて、皇恩をうけ奉りし
ことのしのばるゝことよ」と云へるなり。

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