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明治の唱歌を合唱ソフトに唄って貰う495

三 近代教科書アーカイブ 發兌 大日本圖書株式會社
(M26.8.15印刷M26.8.18発行)
巻之三下
3-b21


須磨明石
作曲 芝葛鎮
作歌者 未詳


松風(まつかぜ)きよき夕波(ゆふなみ)に
月(つき)もよせ来(く)る 須磨(すま)の浦(うら)
関屋(せきや)は あとも残(のこ)らねど
人(ひと)の心(こころ)やとまるらん

波間(なみま)にしづく秋(あき)の夜(よ)の
月(つき)のひかりの 明石(あかし)がた
昔(むかし)はそこの 白珠(しらたま)と
あまの男狭礒(をさし)や かづきけん


須磨明石
・此曲は、何調なるか。
・「ニ」調なるが如し。
・其形は、「ニ」調に同じ。然れ〓(とも)、これは、長音階のものなりと思ふか。
・否。
・何を以て、然らずとするぞ。
・首尾二音とも、「ニ」に非ざればなり。
・首尾二音は、何なるか。
・「/ホ」音、即ち(2)なり。
・此の如き旋法は、何種のものに多きか。
・律旋法に多し。
・然り。此曲も、律旋法に屬せり。而して、「/ホ」(2)は、其宮音なり。「/ホ」は、十二律の、何に當るか。
・平調に當れり。
・然らば、此曲の種類は、如何。
・平調律旋なり。
[注意]此曲は、旋律も、至て滑なり。歌意も、山川の明媚なるを寫したるものなれば、
可成的優美に歌はしむべし。

須磨の歌の、「夕波に月もよせくる」は、播磨の須磨-明石邊は、古より、月の名所にて、濱邊
の松風、いと清く、波も、静かにうちよすれば、月影も、共によせ來る如く見え、唐人の所謂
金波ともみえて、限なき好き氣色なるを、やがて「月もよせくる」とはいへり。・關屋
の跡とは、古は、此所に關所ありて、往來の人を査めたり。關屋は、關を守衛する兵士の
住む家なり。今は、其蹟もなく、誰とて留むる人もなけれど、なほこゝの好き氣色には、
心を留めぬ人はあらざらん」となり。
明石の歌の、「むかしは底の云々」は、往昔、允恭天皇、淡路島に獵(みかり)したまへる時、赤石の海
底に大鰒(あはび)あり。其鰒に、大なる眞珠ありて、海底に光を放てり。天皇、之を獲て、島の神を
祈らんと思し食して、多くの白水郎(あま)を集へて、海底を探らしめ玉へるに、海、深くして、
底に至ることを得ざりき。時に、阿波國の長邑の海人に、男狭礒と云ふ者ありて、腰に、
縄を着けて、海底に入り、須臾にして、大鰒を抱きて浮び出けるが、男狭礒は、是時、息
絶えたり。即ち鰒を割きて、眞珠を出さしめられしに、桃子ほどの大さなりき。此故事に因
りて、波間の月を白玉にみなして、さて男狭礒がことを思ひ出しゝさまいへるな
り。・「かづき」とは、髪付(かみつ)きと云ふ詞にて、「被」の字に當れり。こゝには、男狭礒が、白玉を頂
きて、海底より浮び出でけん」と云ふ意なり。

五 広島大学教科書ライブラリー 發兌 大日本圖書株式會社
(M.26.8.15印刷M26.8.18発行)M27.1.22訂
巻之五下
5-b22


松風(まつかぜ)きよき夕波(ゆふなみ)に
月(つき)もよせ来(く)る 須磨(すま)の浦(うら)
関屋(せきや)は あとも残(のこ)らねど
人(ひと)の心(こころ)やとまるらん

波間(なみま)にしづく秋(あき)の夜(よ)の
月(つき)のひかりの 明石(あかし)がた
昔(むかし)はそこの 白珠(しらたま)と
あまの男狭礒(をさし)や かづきけん

[教授法、及び解釋 仝上]

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