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明治の唱歌を合唱ソフトに唄って貰う476

三 近代教科書アーカイブ 發兌 大日本圖書株式會社
(M26.8.15印刷M26.8.18発行)
巻之三上
3-a02


宮城
作曲者 未詳
作歌 谷勤


いしずゑかたくすゑつべし
御柱(みはしら)ふとくたてつべし
萬代(よろづよ)までもうごかじと
たゝへてほめて造(つく)るみや

明治(めいぢ)のとしもはたちまり
ふたとせといふ年乃春(としのはる)
うつりてませる高(たか)みくら
いや遠(とほ)ながく栄(さか)ゆらん

動(うご)かぬみよの宮(みや)ばしら
たれかは仰(あふ)ぎまつらざる
御稜威(みいつ)もたかき寶田(たからだ)の
千代田(ちよだ)の宮(みや)は千世(ちよ)のみや

宮城
教師、此曲を、再三彈じて、生徒をして、前の地久節の曲と、同種の樂曲たることを
發見せしめんため、殆ど前と同様の問答を爲し、遂に此曲の、壹越調律旋たること
を知らしむ。且つ自然長音階の「ハ」調と、壹越調律旋との關係を明にし、譜表上にて
は、二者、全く相同じきも、旋法に於て、大に異なる所あることを悟らしむべし。

・「たゝへてほめて」とは、稱讚嘆美して」といふヿにて、「たたへ」は稱の字、「ほめ」は、美の字
の意に適へり。
・「はたちまりふたとせ」は、二十有二年(はたちあまりふたとせ)といふこと、「うつりてませる高みくら」は、明治
二十二年の春、宮城御造營の功を竣へしにより、當時の赤阪假皇居より還御まし
乀していへり。高御座(たかみくら)は、天皇の御座なれば、即ち皇位のことなり。
・「たからだのちよだのみや」とは、即ち今の宮城なり。今の皇居となれる地は、昔、寳田村
千代田村といひし所なる故、其地名のめでたきを、やがて大宮城の御名として、稱(たゝ)
へ奉れるなり。

第一の歌の意は、古書にも、庭つ石根に、宮柱、太しくたて」などもありて、皇居の御造營
をば、特に稱美祝禱して、大盤石の、動きなきが如く、造營せらるゝものなるゆえ、今の
宮城も、基礎は、堅固に、御柱は、太く厳めしく、千萬歳も動きなかれと稱讚嘆美して、御
造營になりし所の宮城であるぞ」と云ふ意なり。
第二の歌は、第一の歌をうけて、明治廿二年に還御まし乀しヿに付けても、寳祚の
無窮なるを稱揚し奉れるなり。
第三も、第一、第二をうけて、寳田の千代田の里に築かせ給ひたる此大宮は、實に千代
萬世も動かぬ皇居である。誰か、皇威の盛なるを仰ぎ奉らざるものあるべきぞ」とい
へるなり。

五 広島大学教科書ライブラリー 發兌 大日本圖書株式會社
(M.26.8.15印刷M26.8.18発行)M27.1.22訂
巻之五上
5-a02


いしずゑかたくすゑつべし
御柱(みはしら)ふとくたてつべし
萬代(よろづよ)までもうごかじと
たゝへてほめて造(つく)るみや

明治(めいぢ)のとしもはたちまり
ふたとせといふ年乃春(としのはる)
うつりてませる高(たか)みくら
いや遠(とほ)ながく栄(さか)ゆらん

動(うご)かぬみよの宮(みや)ばしら
たれかは仰(あふ)ぎまつらざる
御稜威(みいつ)もたかき寶田(たからだ)の
千代田(ちよだ)の宮(みや)は千世(ちよ)のみや

[教授法、及び解釋 仝上]

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