44日目(過信)

自分ならこうする、できる(はず)なのに、
なぜしないんだ!という事に起因する怒り(説教)が
この令和時代、最も意味がなく、忌み嫌われる案件だと思います。
別に多様化を突き出すわけではなく、
なぜ「自分ができる事」をそこまで過信できるのか、
それが全く理解できないからです。

よく過去の成功体験は意味がないという話を聞きますが
全くないとは思いません。
「俺たちの頃は…」にはリスクヘッジ観点からも意味があることが含まれていて
何でもかんでも過去の実情を捨て去る必要を感じません。
がゆえに、その分量を見極める必要がある、という事です。
こいつは「自分だったら論」をどれくらい言っているんだろうという…

びっくりするくらい価値観がひっくり返って
「その日暮らし」を強要されている人も多い中で、
無意味、無価値なものに時間を費やす余裕はないんです。



という事を、簡単な言葉でいうことはできないかなあ,あいつらに…

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