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仲よくなりたいも言えなくて…退職

きらら系アニメ「ぼっち・ざ・ろっく」を見た。

親がマタニティブルーにでも陥っていたのか、「ひとり」という主人公がその名に恥じぬぼっちで、友達づくりのためにギターをはじめる話だ(実際には友達作りのためとは少し違うが)。

ギターを始める=バンドを組む=友達ができる、との算段らしい。

彼女はギターの腕だけはメキメキ上達するものの、結局バンドを組めないどころか一人の友達もできず中学3年間を終える。

で、高校生活がスタートするのが第一話。

「CDを机に置いておけば誰か話しかけてくれるかも」とか「バンドグッズを持っていれば以下略」とか、いかにも発想がコミュ障のそれで共感が持てる。

「ラノベを読んでいれば同士(オタク)が話しかけてくれるかも」と期待して延々と「涼宮ハルヒの憂鬱」を机に置き続けた高1春を思い出す。火葬してほしい。

コミュ障とか友達作れない奴って、基本的に姿勢が待ちなんだよね。動いてないの。たぶん前世が銅像が何かだったんだと思う。

そんな受動的な人間、よほどの美人じゃなきゃ話しかけてもらえないよね? ――っていうか美人でも正直怪しい。

で、努力の方向が間違っていたりするの。

まあ、それはさておき、そんな作品を見ているうちにふと古傷が痛んだ。

あれはそう、私がいっぱしの会社員として生きていた頃――。


私の元職場は洗濯機でいうと「二層式」みたいな会社で、つまりはやや前時代的で、ゆえに部活動なんてものが存在していた。

福利厚生の一部らしい。

ゴルフとかフットサルとか卓球とか、いくつか部があって、1つか2つの部活に加入できた。といっても任意だから、嫌ならどこにも属さなくて構わなかった。

活動も年に3回ほど遊ぶようなもので、ゴルフ部に至っては1回で予算が尽きていたらしい。

予算というのは一人につき5,000円だか支給される部費で、まあお察しの通り大半が年度末の懇親会なる飲み会で消費されていた。とにかく、大学生サークル並みにゆるゆるの活動だった。

ちなみに大学時代サークルへ所属していた経験はない。

勤めていた間、私はバドミントン部に入っていた。

女性社員の大半がバドミントン部だったし、若手の男性社員も多くてもっとも楽しそうだったから。

陰の者のくせに陽の集いや飲みにケーションなる文化が好きな私は、せっせと活動に参加した。(まあ、参加したところで隅のほうでシャトルをつついたり、食べ物の残りをつついたりしているだけなのだが)。

そんなバドミントン部には同期の女性(経験者)と、年の近い後輩君たち(未経験者だがなんか上手)がいた。年が近いこともあり、彼女たちとはそれなりに仲よくしていた。

そんな3人がどうやら、市内のバドミントンサークルにも属しているという噂を耳にする。もともと同期の子が彼氏(経験者)と一緒に入っていたサークルのようで、部活をきっかけにバドミントンにハマった後輩君ふたりを誘ったとのこと。

3人は部活のときも楽しそうにシャトルを交わしていたし、普段の仕事中(というか休憩中)にも話していたし、なんならサークルの後にご飯に行ったりカラオケに行ったりと親交を深めているようだった。

……なにそれ楽しそう!!

消えていく同期たち(3年目には過半数が辞めていた)の中で彼女は唯一残った同性で、私はわりと彼女が好きだった。後輩君の一人も部署が同じでこれまた唯一の同い年だったから、やはり仲よくしておきたかった。もう一人の後輩は……よく知らんけど、まあいい人だったと思う。接点なくてよくわからんけど、飲み会の席で話してくれたりしたし。

仲間に入れて欲しい! 一緒にバドミントンがしたい! 遊びたい!

私は彼女たちと話すときに「へー、バトミントンサークルに行ってるんだ、面白そうだね(チラッ」とそれとなくアピールをしてみたが、効果はゼロ。そんなんで仲間にしてもらえるのスライムくらいだわ。

なにせ私は死に化粧を施されそうなほど表情が乏しく、読経しているレベルで喋り方に抑揚がない。

たぶん同期たちには、

「へー、バトミントンサークルに行ってるんだ、面白そうだね(棒)」

くらいにしか届いていなかったと思う。誰が誘うかいな、そんな奴。

そしてもう一つ、私は壊滅的にバドミントンが下手だった。

誰が誘うかいな、以下略。

そこで私は思い立った。

バドミントンの腕を上げよう! そして仲間に入れてもらおう!

計画はこうだ。

バドミントンが上手くなる→実力を部活で発揮→「あまぼしさん強い!」「よかったらサークルに来てやってみない?」

イエス! イッツベリーグッド!

これしかない。私はさっそくバドミントンが強くなるための練習を始めた。

私のバドミントンに対する知識など真面目に漫画「はねバド!」くらいしかなかったが、この漫画が参考になるとは思えなかったので、「やろうよ バドミントン」なる書籍を購入した。「こどもスポーツシリーズ」とあり、どう考えても23歳向けの本ではなかったがこの際に気にしていられない。

YouTubeで元日本代表のなんとかさんの動画も見て、素振り練習をした。

体力をつけないとコート内を動けないので、就業後に走り込みをはじめた。

長距離の走り込みよりインターバルトレーニングの方がバドミントンにおいては有効らしく、短距離走を何本も走るインターバルトレーニングに切り替えた。

夜は筋トレもした。ランジの動きが羽根を拾う動作と似ており、効くらしい。ハムストリングスが死んだ。腕の筋肉も大事なので腕立てもした。とりあえず腹筋も鍛えた。びっくりするくらい体が引き締まった。

しかしまだ足りない。ウエイトリフティング部をやるわけではないのだ。バドミントンはシャトルに触れてこそ。

アルペンに行きシャトルを買い、シャトルリフティングをはじめた。床に落ちる音がうるさいのでマットを敷いた。顔面に目ん玉がついていないのかと疑うほど、リフティングは続かなかった。今でも3回くらいしかできない。なぜ?

自動壁打ちマシーンも自作してみたが、私の腕ではマシーンが返すシャトルが激しすぎて追いつけなかった。部屋にヒモで作った疑似ネットを貼り、ごみ箱へ入れるサーブの練習も重ねた。これだけは唯一功を奏し、のちにショートサーブが上手いと褒められるにいたる。

とにかくあれやこれやと試したが、駄目だった。試合になるとまるで動けない。

練習を始めてから最初の部活動ではまったく華々しい動きができなかったので、当然誘ってなどもらえなかった。

隅の方でシャトルをラケットで掬い、それとなくバドミントンちょっとできますよ? アピールをしてみたが、マジでなにやってたんだろうな、あれ。馬鹿じゃないのか。

年2,3回しかないチャンスをみすみす無駄にしてしまった。

やはりバドミントンは打ち合ってなんぼなのだ。打ち合って練習するしかない。でも一人じゃラリーはできない。自動壁打ちマシーンは弾丸みたいなシャトルを飛ばすからラリーにならないし。

そこで私は意を決して、近所で活動しているサークルに参加してみることにした。

そう、ジモティーである。

ぜってえトラブルしか起きねえだろうと思っていたジモティーに電光石火で登録してサークルを探し、会ったこともない人たちが集う男女十数人のサークルに単身突撃していった。

ここで練習して上手くなれば、きっと同期たちの仲間に入れてもらえるはずだ。バドミントンをして、帰りにご飯を食べたりしてだべりたい。「会社やめてー」とか毒にしかならなそうな非生産的な話題に花咲かせたい。そんな希望を胸に。

この行動力をなぜ、別の方向に活かせないのか。

この時点で私は動く銅像、においのつかないムシューダ(ダラベンダーの香り)、と同じく矛盾の塊になり始めていたのだが、残念ながらそのことには気づかない。

リアルに「うぇーい」とか言い出しそうな陽キャ集団にまみれ、週に1,2回、仕事帰りや休日にバドミントンを続けた。飲みにケーションもした。カラオケも行った。

そうして3年近くの月日が流れ――


私は退職した。

結局最後まで「一緒にバドミントンやらない?」とは誘われなかった。

唯一の――いや、いくつもあるうちの誤算の一つは、私がやはり壊滅的にバドミントンが下手だったことが挙げられるだろう。

脳内では劇的にスマッシュを打ったりクリアーを上げたり、あれやこれやと駆け引きを交わしているのだけど、実際は私がラケットを振るとカッとかコンとか、乾いた音ばかりが鳴る。太鼓の達人やってるんじゃねえんだぞ。

そして中学時代、バレーの試合でバレー部にタックルを食らわせて失点王の名をほしいままにした私は、チームプレーがこれまた芸術的に下手だった。

声が出せない。基礎中の基礎ができていない。声を出さないうえに味方を見ない。そしてロクに動かない。動いたと思えば余計な手出しをする。所詮銅像は銅像というわけだ。

そんなわけで技術がまったく向上しないまま3年続けたが、そもそもサークルにも馴染めていなかったので退職後にあっさりと辞めた。

完全に浮いていたし、話題や笑いのテンションにもついていけてなかったのに、よく3年も続けられていたものだ。意外と忍耐力があるのか?

とにかくそれだけ、ただ上手くなりたかった……なれなかったけど。

今にして考えれば、同期たちの仲間に入れてもらえなかった最大の理由など、私が仲間に入れて欲しいと言わなかったからだとわかる。

一言、「自分も一緒にやってみたいからサークルに参加してもいいか」と訊ねればよかったのだろう。

ただ、それでは駄目だったのだ。

もし同期たちが私を歓迎していなくても、面と向かって断れない。それが日本人ってものだ。「正直来ないで欲しいけど言いづらいな」とか思われつつ参加するのはあまりに滑稽なので、私は実力を認めてもらえたうえで誘われたかった。

でも何もかも失敗に終わった。私は3年間何をやっていたのだろう。本当に何をやっていたのだろう。

使われなくなったシューズとラケットが、今も部屋の隅で埃をかぶっている。

はあ~~、ギターでもはじめようかな。

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