「開かない窓」など誰が想像できるだろうか【しなければならないはずの説明を省く専門家について】
ネズミの大運動会
「ドタバタドタバタ!!!バタバタバタバタ!!!!!」
当時は毎晩、屋根裏でネズミの大運動会が開催されていた。
ネズミの駆除業者も「こんなの見たことがないです…」という大きさのネズミが跳梁跋扈していた実家を3年前に完全に建てかえた。
打ち合わせ
母は建築士さんと共に間取りなどに関する打ち合わせをしていた。
母「居間には大きな窓をつけてほしい」
建築士「わかりました。」
一般的な感覚だと、おそらく大多数の人が「窓=開く」と思うはずだ。
しかし、家が完成して母は愕然とした。
この大きな窓は開かなかったのだ。完全に固定されており、家の中から外がが見えるだけの代物だった。
専門家は、素人の感覚を持ち合わせている必要がある
打ち合わせのときに、建築に関して素人の母が建築士さんに「この窓は開きますよね?」なんて聞けるはずがない。
建築士さんは打ち合わせのとき、
「この窓は開きません」という説明をする必要があったと思う。
専門家が思っている常識と一般の人たちが思っている常識や知識は全然違うからだ。
「だからこそ、素人の私たちも知識を得るために勉強しなければならない」という話は置いといて、プロは、素人である相手の知識の量や気持ちを想像して説明する責任があると思う。
相手がどれくらいの知識量や力量があるかを判断するのもプロの仕事だ。それが判断できなければプロとは言えない。
ピアノのレッスンでもそうなっていないだろうか【自戒】
これは誰にでも起こりうる話だと思う。
私は普段、ピアニストとして演奏だけではなくレッスンもしているが、
説明を省いても通じる人
↑
(生徒さんによって、いる場所が違う)
↓
言語と演奏、どちらも使って細部まで説明しないと通じない人
生徒さんによって、どこまで説明する必要があるのかというのは変わってくるのだ。
また、同じことを説明するにしても、生徒さんによって伝わりやすい例えや言い方がある。これを敏感に察知して生徒さんそれぞれに合ったレッスンをするのがピアノの先生だ、と私は考えている。
専門家同士で話すときは専門用語を使ったり根本の理論を端折ったほうがスムーズな会話になるが、プロが省くことに慣れすぎると、プロとアマチュアで会話が成り立たなくなることが多々ある。
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