清水大樹が教育事業を志すまで。①

前書き

【追記】2,448,000円を250人もの方からご支援いただきました。
2019年6月13日に、達成し終了しています。

「小・中高校生の学びと、大学生の学びが同時に起こり、ふらっと喋れる場を京都に創りたい!」という想いで挑戦しているクラウドファンデイングをきっかけに、地元姫路の方から応援の連絡をいただくことが増えました。GWには地元に帰り、いろいろと地元に触れて感じることがあり、自分が今の仕事を志すまでのことを思い出していました。幼少期から大学3回生までの育った環境や経験が原体験となっています。

https://camp-fire.jp/projects/view/150261

この機会に、僕、清水大樹が、今の教育事業を志すに至った経緯を「幼少期〜大学入学」「大学時代」の二回に分けて、紹介させていただこうと思いカタカタしてみます。

過去の挫折と、絶望、そして人の温かさと希望を噛みしめながら書きました。全2回の「僕が教育事業を志すまで」。赤裸々ですが読んでいただけたら嬉しいです。自分のことを書くのはいつだってそうですが、勇気がいりますね。。。

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幼少期

兵庫県姫路市から車で1時間近く、夢前町という自然豊かな町内の人口70人ほどの村(限界集落)で生まれ育ちました。
窓の外を見たら鹿の群れがいたり、お風呂はイノシシの鼻息を聞きながら入るような、ド田舎で育ちました。人間関係は濃く、近所のおばちゃんが家の中に勝手に入ってることもしばしば。村の方々から「だいきくんだいきくん」と良くしてもらって育ちました。父親は僕に「世間話の1つでもしてきたんか」とよく言ってた。3時のおやつは、山に生えてる野草や畑の野菜を採って食べてました。

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小学生時代

小学生の頃は、勉強もスポーツもそこそこできる子で、なにをするにも中心にいないと気がすまない、とにかく目立ちたがりな自意識過剰な子でした。サッカーのクラブチームでキャプテン、勉強は中学受験を志し、絶対合格と書かれたハチマキをして毎日12時間以上勉強し、偶然だけど全国模試で1位を取るくらい勉強してました。勉強のモチベーションは、負けず嫌いだっただけ。親に勉強しろと言われたことはありません。毎日深夜まで、解けないことや誰かに負けることが悔しくて泣きながらでも歯を食いしばって勉強してました。田舎の小さいコミュニティの中で、スポーツも勉強もできて周りの大人から可愛がられて育った小学6年生の僕は、天狗。友人にも恵まれました。

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トップ合格を期待されていた僕が迎えた中学受験。楽しみにしてた合格通知を開けると、

「不合格」

という紙が入っていました。

人生が終わったと思い、生きることに絶望しました。

これが人生で最初の挫折。自分はすごいんだと思ってた井の中の蛙、小学6年生の僕にとって「不合格」はあまりにショックなことでした。目の前が真っ白になっていくあの感覚は今だに鮮明に覚えています。塾の先生の「不合格だったらあなたの努力は間違ってたって言われることになるんだぞ、勉強がんばれ!」って言葉が頭の中をぐるぐるし「僕の努力は間違ってたんだ」生きる価値がない。人生が終わった。と思ったところから記憶がありません。第二志望の中学(一応偏差値70以上,,,)に合格するも行く気になれず、、、そのあとの覚えてる記憶は、約2ヶ月後に自分の部屋で「自分は受験落ちたんだ」と隠れて1人で泣いてた記憶です。死んだも同然だと思い、包丁を勉強机の引き出しに入れ、不合格通知を机の真正面に貼っていました。こわいですね。。。それくらい、学歴にコンプレックスを持ちました。そして、ちょっぴり人相が悪くなりました。写真は中3。隣は母親。

中学時代

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中学時代は、勉強以外でどうやったら目立てるのかばかり考えてた。強くてかっこいい先輩に憧れた3年間。勇気も根性もない僕が半端もんをしてました。友達や先輩に恵まれて、とにかく遊んだ楽しかった。

高校時代

高校時代は、小学生の時の猛勉強の貯金でなんとか入学できた高校。
サッカーに明け暮れキャプテンに。サッカー部を引退したら、歌うのが好きで姫路駅前でストリートミュージシャンを。音楽に携わって生きて行くんだと思ってました。関係ないけど、この高校3年生の時に付き合った方とその付き合った日からちょうど7年後に入籍しました。めちゃ関係ない。

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高校3年生の冬、高校卒業を間近にして「自分の人生のピークは小6だったしこれからもそうなのかも」とふいに思うようになりました。「昔は日本一だったんだと過去の栄光にすがってる自分。。。ダサ。。。このまま大人になっていくのやばいやろ自分、、、」

「小学6年生の頃の努力を超えて勉強するから浪人させてくれ」と親に頭を下げ、浪人での大学受験スタート。高校卒業の旅行に行く友達の誘いを断りbe動詞から学んだ。学生の街京都に憧れ、1年間必死に勉強しました。偏差値は約30上がりました。
中学時代に「清水家の恥だ」と僕を罵った親族も応援してくれていました。

そして、人生をかけたリベンジ大学受験。

第一志望、第二志望、第三志望から「不合格」をもらいました。

え、まじで?思ってた成功ストーリーじゃない、、、。
そんなことあるんだー。僕は一生成功できない。。。

味覚も失うくらいに、ボロボロになっていました。その頃に撮った証明写真。目が虚ろ。笑

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なんとか後期試験で拾ってもらった大学に入学。どうしても経営学部に行きたくて、最後まで受け続けたあの時の自分ナイス。
今では大好きで感謝してる大学だけど、3年生になるまでは大学名を隠していたくらい学歴コンプレックスを持っていました。

その大学4年間が、僕の人生を大きく動かしました。
ちなみに当時の僕の夢は、銀行マンか公認会計士になって30歳で年収1000万円の小金持ちになって地元で家族つくって幸せに暮らすことでした。だから、経営学部会計ファイナンス学科に入学。大学3年生でかなり人生観が変わった。。。

次回「僕が教育事業を志すまで。②」に続く。


クラウドファンディング に挑戦しています。応援・支援よろしくお願いします。
【追記】2,448,000円を250人もの方からご支援いただきました。
2019年6月13日に、達成し終了しています。

https://camp-fire.jp/projects/view/150261

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