軽トラの助手席

3週間前の金曜日。大学で実家を出るまで同居していた祖父が永眠しました。93歳。僕が滑らない話をする時は必ず出てくるfunkyなおじいちゃん。聞いたことある人たくさんいるかも。聞いたことない人はまた聞いてください。ついにあのfunkyなおじいちゃんも逝ってしまいました。コロナの影響大きく、会えるチャンス少なく面会OKが出た瞬間に京都から車を走らせ姫路の施設まで行っても面会5分前の急な熱や施設の方針で会えずじまい。仕方ない。葬式などでその節は火曜日までお休みいただき多くの方にご迷惑をおかけしました。

「大樹、人の為に動くんやど」
という言葉を何度聞かされたことか。家族はそっちのけで地域や仕事、畑に動き回っていたおじいちゃんは僕にとってはかっこいいヒーローでした。ついでに言うと「魚の骨も頭も全部食わんかい!体強くならへんど!100回は噛め!」って言ってはった。炎の中から出てきた骨は極太で凛としてました。

痴呆で僕が誰か分からなくなってからも、
「人の為にさせてもらってきたんです。それは本当に有難いことで、だから私は健康で生きて来られたんです。感謝ですね。」って言ってはった。故郷の話も永遠にしてはった。僕は必死にメモをして、そのメモはどっかいった。

一万円分の"いいちこ"とおじいちゃんがいつも食べてたつまみを買ってきて、動かなくなったおじいちゃんと三夜に渡ってひたすら飲んだ。父も弟も親戚たちも一緒に。美味かったー!大盛り上がりでした。これもおじいちゃんの魅力だなと。涙よりも笑顔いっぱいでした。

おじいちゃんがいつか亡くなることは覚悟していて、日々おじいちゃんに京都で頑張ってるぜー行けないけどごめんねーって心の中で伝えてた。家族よりも地域の事と仕事に没頭してたおじいちゃんなら分かってくれるはずと思って、僕は京都で”日常”に没頭してきた。

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火葬場に向かう道中の写真。おじいちゃんが運転する軽トラの助手席からこの景色たくさん見たなーお巡りさんにクラクション鳴らしまくって無茶苦茶な人だったなーと思いながら、頑張ろーって改めて思いました。一回くらい僕が運転する助手席に乗ってもらっても良かったかなーと思いながら、いやいや、僕は僕の人生を真っ直ぐに生きていて間違いないぜーって思わせてくれる存在の大きな1人です。

事業は10年目にして、10年間たくさんの方に助けてもらって懸命にやってきたからこそ、新たなスタートラインに立てた感じがしています。清水大樹が描くど真ん中!

爆進します!

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