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父の入院は長く、続く。

年明けて2月も終わろうとしている。年末に退院した父は複数の検査を経て、当初の計画通りに再度入院をしたのが1月の後半。

初回の入院時に大きな副作用を受けた為、今回はとても慎重な投薬治療となったのだけれど、成果としても大きな結果は引き出せなかった形となった。父本人は「副作用も無く、微量ながら結果は出ている」と前向きで、退院の計画が出されたことも喜び、僕ら子供の都合を確認せずに気持ちが先行して退院日を決めたくらいだった。

ところが退院の日の前日、脇腹からの痛みを訴える。結果胆嚢に異常があるのではないかと退院は取りやめ、その後に細密検査となる。

実はここまで僕の地方出張が続き、全てを姉に任せていたのだけれど、先日病院へ様子を見に行ったら想像以上に状態は悪く、肺がんの進行は身体中に巡っていることも感じた。

酸素のチューブをしていることを本人に聞いたところ、どうやら血液中の酸素濃度が少ないらしい。原因は聞いていないそうだけれども、肺がんが影響している気がした。呼吸によって吸込む量が減ったのか、それとも空気中の酸素量を吸収する効率が悪くなったのか、その両方なのかと思考はめぐる。

ベット上に寝る時間が長いのも気になった。70代、1週間寝込めば歩行さえ支障が出るし、それが長引けば筋力的にも体力的にも衰退していくのを初回の入院生活を見て感じていた。

3月末に入れば、去年9月の「余命半年宣告」から半年を迎える。時間は確実に父の病気の進行をさせる。投薬による変化も微量で、投薬をやめた時に見せる癌の進行の方が速い。

2末は父の誕生日。

家族としては「早く良くなれ」とも思わない気持ちがある。なぜだろうか。退院しても入院する以前の生活が一人でおくれるとも思わないからだ。もちろん介護サービスもある。でもそれは24時間体制ではないのだ。家族は不安で仕方ない。

家族の負担というのは、直接的なことばかりではない。仕事に集中した後に、ふと親のことを思い出した瞬間「親よりも自分を優先させることの悪」みたいな物を背負うことがあるのだ。

いや、親の世話に集中するほど潤沢な蓄えがあれば変わるのかもしれない。数年業界を離れても活かせるスキルや、必要としてくれる人が迎えてくれる人気があれば良いのかもしれない。いや、それは無理だ。

常に新しい技術や知識を学ぶ必要がある。現場を離れ、数年前で止まった知識と技術で稼げるほど簡単な世界で働いてはいない。今の世代は。

頂いたお金は両親の病院へ通う交通費などに活用させて頂いております。感謝いたします。