同年代にのしかかる介護

出版系の食事の場で、同年代の知り合いの母親がボケてしまい、そのサポートをガジェットで解決出来ないか?という連載を、誌面で始めたことを知る。聞けば母親も僕の母と1つ違い。40代世代にのしかかる課題は、思いの外、身近なところでも起きていた。

彼いわく、母のボケは通常の生活を行える程度ではあるものの、自転車に乗ったりもするから「正直不安しかない」とのこと。薬も1度に複数回分渡すと全て飲んでしまうので、毎日その日の分を持っていくことにしていると言う。

出版ということもあり、日々の生活リズムは日によって崩れる中、こうして毎日実家に足を運ぶというのは、距離的な問題以上に凄いことだと思う。いくら近くても、たとえ隣でも簡単に出来ることじゃない。

一方でウチの母はと言えば、調子の良いタイミングでしか、僕のことを認識しない。具体的には5回訪れて1度程度。この感覚も長くなり始めている。その状態ながらも、胃ろう手術を受けているので栄養状態は万全。肌艶もよく寝たきりで1日を過ごす。この病院にかかる費用は月に20万円。この費用は父親の年金と合わせた中から捻出している。

ボケもそうだけど、父の病気の状態も含めて、全てが身体(内臓系)か脳のバグだと思っている。もう身体は生きる状態では無いのに、生かされてしまっている状態。母の胃ろう手術は父の独断で、僕らが知った時のは術後だった。

老齢者のこうした状態は思っている以上に長く続き、僕らの生活を奪っていく。肝心な親が死んだ時、僕らの時間が返ってくることはない。だからと言って、全てをサービスにアウトソーシングすれば、それはそれでお金がかかる。その場合のお金も返ってくることはない。

親の手術費も入院費も、それぞれ親の口座から出されているけれど、僕ら自身の交通費やその他に関わる費用は思っている以上に出費がある。親が要介護となる状況を迎えた時、親に貯金があるからと過信しない方が良い。思っているより、関わる僕らも間接的な負担がある。

この状況で、どうやって自分たちの老後を考えろというのだろうか。これは日本社会の抱えるバグだと思う。

頂いたお金は両親の病院へ通う交通費などに活用させて頂いております。感謝いたします。