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親の介護は突然やってくる(要介護4の父と要介護5の母)

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突然訪れた親の介護。いつか「やっと終わりました!」って投稿が出来るまで。
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2019年4月の記事一覧

高齢者の運転免許返納へ・我家のケース

「クルマが無いと生活ができない。社会がいけないんだ」という老人の言い分だけが悲しく響く。本当に解決策は無いのかと、父の返納をめぐった考えや言葉の一通りをメモとしてnoteに。免許を諦めさせたいと願う他の家族のヒントになれば。 僕らが考える限り高齢者が運転免許を手放せない理由はいくつかあるのだけど、一番は「自分の生活を変えたくない」という思いが根底にある。父の意見でも直接的には言わなかったけれども、この点に周りが気付くと彼の反論には全て説明が付く様に見えた。 家族は高齢者講

介護鬱

身近な家族に弱音は吐いてるものの、根本的な解決策がなく困っている。仕事なら辞めれば良い。人間関係なら離れれば良い。では、家族の介護は排除できるのか。答えは難しい。 施設を頼るという選択もあるだろうけれど、今の状態では適した施設が無い。要介護4とはいえ、一人暮らしを続けたいという意思がある。しかも余命半年宣告を受けて半年が経った今、残りどれほどこの家で暮らせるだろうと思うばかりに、出来る限り協力したいと思いながらこちらの精神を蝕んでいってしまう。 仕事が思うように手が付かな

逃げたい

子どもを持ったことが無いから親の気持ちはわからないのだけれども、高齢化した親の一人暮らしがいろいろと心配で気にかかる。放って於けば良いとも言えぬのが家族ということなのだろうか。親子と言えど他人、遠く離れて暮らしても家族。この関係は時に感情に対して罪深い間柄でもある。 各所に転移する程の肺癌末期。初期の診断では余命半年と言われ、その半年が経ったのが3月末。今は新しい薬を投与しはじめ、2週間毎の3回投与をもって治療の効果を判断する。 今回から使用している薬はオプシーボ。去年の

オプシーボを使う

父の肺癌治療にあたり、初期に2種類の投薬を行った結果は内蔵に負担が掛かりすぎてしまい、余命3日と言われるまで死が高まったものの、そこから回復。その内臓へ負荷をかけた1種を外し、残る1種類で治療を続けるも、結果的に肺癌への効果はなく、やや大きくなる経過となっている。 ここまで、オプシーボを利用するに辺り必要な経過でもある。 いきなりオプシーボを投与するには特に強い結果を期待するものではなく、副作用もそこそこにあるだけに、初回から投与する薬ではないらしい。ただ、初期の投薬治療

色々と見失っている。

実家の諸々を終えて帰ってくると、自分でも驚くほどの疲労感と倦怠感と嫌悪感と、そんな諸々の負の感情を抱えていることに気づく。イライラも絶頂だったりする。 なんでそんな感情になるのかと言えば、父の検査や診察など病院ですること無く過ごす数時間や、たまに見せる親の老いの現実と、実家までの移動が通勤時間帯などにぶつかるストレス。高速道路の追い越し車線を100km/h以下で走る輩は引きずり下ろしてぶん殴りたいと本気で思う。例えるならそれ程のストレスを抱えていたりもする。 では、どうし

最近苦しい。

「ある日、父親が突然ぽっくりと逝った」なら、どんなに気が楽だろうと思う時がある。もちろん思いがけない出来事に心にぽっかり穴が空くという気持ちも生まれるだろうけれど、着実に死が近づく父を見続ける辛さはこんなにも苦痛なのか。 思い残すことは無いようにと「行きたいところはないか」「食べたいものはないか」と、多少無理してもどこへでも連れてってあげたい。その言葉には、何か思い出をつくりたい。と僕個人的な気持ちも強い。 ただ、そう提案したところで「家に居たい。家で過ごしたい。」と言う。