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SONZAI

今日は、「存在」というワードについてメイクセンスしたことについてまとめようと思います。

30代、40代の人たちは恐らく「マトリックス世代」と言っても良いのではないかと思うのですが、どうでしょう?最近の若い人では「インターセプション」はどうですか?「マトリックス」を映画で観たり、コミックで読んだりしましたか?あの哲学書のようなエンターテイメント作品、もとい、エンターテイメントとして描いた哲学映画の考え方にも似ているんじゃないか、と思います。ここからの話です。

端的に言うと、この世のあらゆる物質(感情)は「存在」しているんです。

インスタでリア充っぷりを拡散しているイケイケな人たちも、酷く思い悩んで塞ぎ込んだ人も、高層ビルも、古民家も、放射線物質も、電子機器の電波も、コカインも、人類の歴史を記した貴重な本も、宇宙に飛び立つロケットの火花も、どんなに深く真っ暗な海の底にただ堆積しているだけの一縷の砂も、全部「存在」しているという平等で同列な物質なのです。そして、たとえ意思自覚がなくても「存在」しているからには役割があります。抵抗であったり媒介であったり。物質は感情という言葉にも置き換えられます。世の中は感情の海であり、寄せては返す波のように感情という物質が媒介から媒介へ共鳴共感して伝えられるのです。或いは反作用で別な波が起きたりもします。

世界は目には理解できない感情の振動で出来ている

人間がデジタルという技術を作ったり、サーモグラフィという機械を作ったり、嘘発見器を作ったりするのって、本当に面白いと思います。だんだんと「世界の謎」を解き明かす方向に進んでいるのですから。人間の脳はよく、パワーをセーブするように出来ていると言われますが、理由は簡単なのではないでしょうか。フルパワーで使って、すぐに「世界の謎」を解き明かしてしまったら、「存在」する意味が無いから。

これまで、私は墓には全く興味がなかったのですが、ある機会に聞いた「私の祖父はこの墓地に埋められました。ここに祖父の名が彫られています」というなんの変哲も無い話がたまたまノーガードで腑に落ちてきたので、お墓ってのも良いものかもな、と思いました。

「存在」していたということを語り継ぐ「存在」

でも、もっと良いなと思うのは、口頭伝承文化です。「存在」していた証を文字に刻んだ石の存在として残したところで、次なんの美しい感情が生まれるのでしょうか。そんな形にとらわれず、振動が消えてしまわないように、来る日も来る日も歌って舞って、美しいメロディで空気を振動させ続ける存在の仕方って何て素晴らしいのでしょう。来る日も来る日もおばあさんに、大事な話だよと聞かされて、大人になった時分にまるでタイマーがセットしてあったかのように「ハッ!」とフラッシュバックして再び「存在」する仕方って何てドラマチックなのでしょう。

墓と言えば、生死。命。ですね。命を軽んじるつもりはないのですが、心臓が動いていようがいまいが、物質間には優劣はないと私は考えます。敢えていうなら、命というのは感情を起爆させるのに最もいい結果を残す爆薬みたいなもので、尊いという概念も、感情生産装置の人間が上手に作り出したカンフル剤のようなものです。

好きな人が死んだら、悲しい。可愛いペットが死んだら、悲しい。

ただそれだけのことです。感情の波がうねるだけです。

なんなら、完璧なミイラにするでもなく死体を自然に返してしまったら、巡り巡ってその人を形作っていた要素が口に入っているかもしれないのですから。

「百聞は一見に如かず」人から聞いた2次以降の情報を何度も聞いたって確証は得られない。自分の足とその目で1次情報を稼ごう。これまでは、そう信じてました。

しかし、己自身に問題があったら?体感で得る情報を的確に処理するスキルが無かったら?目が霞んで、良く見えて無かったら?

最近は、自分の目を信じるよりも、感情の波の痕を辿る方が信頼できるのではと思い始めました。自分に押し寄せる振動の波がどこからきたのか。それが分かるように修行しようと思います。





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