「嫌われる勇気」を読んで

・原因論と目的論

過去の生い立ちやトラウマなど、原因が結果を決める訳ではなく、目的が結果を決める
ex)原因論=赤面症だから告白できない。
     目的論=失恋した時の自己防衛のために赤面症を口実にする。

例えば自分が、公然の場で発言することを躊躇してしまうのは、
「この場でこのような発言をすることは皆の時間を奪うことになる」のような原因があるからではなく、

「恥をかきたくない」や「失敗したくない」「自分は無能であるという現実に直面することを回避する」という目的を達成するため。

行き詰まった時、上手くいかない時によく考えたい。
本当に現状があるのは、原因があるからか?
それとも自分自身が作り出している防衛反応ではないか?


・やるべきことを前にしながら「やれない理由」を探すのは辞める。

そんな生き方はひどく苦しい。
世界はもっとシンプルにできている。問題を複雑にしているのは自分。



・主観的な解釈次第で幸福にも不幸にもなれる。

例えば自分は身長が高くないという客観的事実。
自分はこれを最大のコンプレックスだと感じている。
しかし、それはただの客観的な数値であり、解釈者の自分の捉え方次第で幸福の要素にもなり得る。
客観的事実に囚われず、自身のポジティブな解釈を優先すればいい。



・健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるもの

人生は他者との競争ではない。今の自分より前に進もうとすること。
他人との間に優劣は存在しない。
「優越性の追求」という、人間本来に備わる向上欲求は、他者との競争によって行うものではない。
勝ち負けにこだわると正しい判断ができなくなる。
目先の勝ち負けに拘ると道を間違えてしまう。

また、対人関係の軸に「競争」があると人は対人関係の悩みから逃れられず、不幸からも逃れられない。
競争の先には勝者と敗者がいる。
競争や勝ち負けを意識すると必然的に劣等感が生まれる。そしていつの間にか他者全般のことを敵だと見做すようになる。
周りを皆、仲間だと思えれば、対人関係や劣等感の悩みから解放され、他者の幸せを祝福できるようになる。



・自由とは他者から嫌われることである。

他者に嫌われまいと生きることは、人間の本能的な欲求の奴隷。
自由を行使したければ、そこにはコストが伴う。
対人関係における自由のコストとは、他者から嫌われること。
嫌われることを恐れるな。
私のことをよく思わない人がいても、それは私の課題ではない。

褒めてもらうことに喜びを感じるのは、上下の関係に甘んじているという事でもある。



・他者からの評価に怯えている人もまた自己中心的だ。

自意識過剰な自分が自分にブレーキをかける。
ありのままの自分に自信がない。押し殺すことで、笑われる、失敗を回避する。

自己への執着を他者への関心に切り替え、共同体感覚を持つ。

「自己受容」→「他者信頼」→「他者貢献」→ループ
・100点満点の人間などいない。
 現状を受容して、変えられないものではなく、変えられるものを変えてい 
 く’勇気’を持つこと。
・他者に対して無条件の信頼を寄せること。(相手がどう接するかは他者の  課題だから)((思えば、いつも他者からどう思われるのかを恐れて、そ  っけない態度をとってしまう。相手が私をどう思うかは相手の課題。そこ 
 を理解した上で、無条件に信じたい。))
・自己犠牲ではなく自分を表現した上で、他者に貢献する。
→自分はここにいていいんだという感覚。

人生の目標である共同体感覚がわかれば、偽善という感覚が消える。



・人は、自分には価値があると思えた時にだけ、勇気を持てる。

私は共同体にとって有益なのだと思えた時、自らの価値を実感できる。(他者からの称賛によるものではなく、自らの主観による感覚
共同体=職場、家族、コミュニティだけにとどまらず、地球規模。(自分の行動が何らかの形で他者に影響を与えているのだから)

誰かの役に立っている。それゆえ私には生きる価値がある。

究極的には、私の存在そのものが他者の役に立っている。



・「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなる

人生は連続する刹那。
今日という1日は、遠い将来のため(の準備期間)にあるのではない。
いま、ここを真剣に生きること。

人生を「登山」のように捉えると、今の自分を「発展途上」としてしまう。
もちろん、目標を据えて、そこに挑むことは何ら問題ではない。

ただ、今この瞬間の自分自身は全くもって「発展途上の未完成品」ではない。

今この瞬間に全集中して生きる。
そして、ふと周りを見渡した時に「こんなところまで来ていたのか」と気づくような人生にしたい。

いま、ここを充実していればそれでいい。


大学スポーツに関して言えば、目指す目標のためではあったが、瞬間瞬間のトレーニングや研究自体が大好きだった。(全日本そのものが目的というより、その過程に)
人生の登山においても、明確な目標だけを見て進むのではなく、瞬間瞬間を充実させることを考えていたい。

人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないこと

過去も未来も見えなくなるほど、今この瞬間に眩いスポットライトを当てて全力で生きていたい。その積み重ねが自分自身を形成する。

完結した刹那をダンスするように、今を全身全霊。

「他者貢献」という導きの星だけは見失わぬように。




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