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8.見せない美学

七五三掛龍也は見えないところでたくさん頑張ってくれる人間である。と、私は何度も思って感心&感動している。ソースが曖昧だが数年前の雑誌で、頑張っている姿を見せずに結果を出す方がかっこいい、という持論を話していた。そういう考えを持ってアイドルの仕事をしてくれているらしい。今も同じ考えでいるかはわからないが、根本的には見せない努力をしてかっこつけてくれる。かっこつけてくれる龍也が強くてかっこよくて大好き。

七五三掛龍也は見せたい部分と見せない(見せたくない)部分がはっきりしているアイドルだと思う。Travis Japanの中ではこのキッチリした線引きをしている人はあまりいないかもしれない。メンバーによってオープンだったり曖昧だったり。のえまちゅは自意識が高いので見せ方にこだわっている部分はあるけれど、努力を見せないように過剰に意識しているようには感じない。
中村海人は「等身大でいたい」というアイドル論を展開しており、七五三掛龍也とは対極だと感じた。七五三掛龍也は作り込んで夢を見せてくれるアイドル。ありのままの七五三掛龍也は見せてくれない。私は飾り気のない七五三掛龍也が見たいけれど。知らない方が幸せなのは知っているのに、知ることで得る新しい刺激も求めてしまう。でも龍也が悲しむようなファンにはなりたくないので、私は素直に感謝を伝え続けたいし、龍也が共有してくれることを真摯に受け止めたい。下心のあるファンでごめんとは思っている。
雉も鳴かずば撃たれまいという諺があるように、見せないことで損はしないという考え方もある。アイドルにとって好感度が下がると致命傷。見せない美学を追求してくれることはファンにとってありがたい。完璧でいてほしいとは思っていないが、完璧を目指す姿はかっこいいと思う。表で見せる完璧な姿が、見えないところで死ぬほど努力したうえで成り立っていると想像すると愛しい。見せないからこそ生まれる余地が魅力である。余白の美しさ、というか。もはやアートの域の美学。七五三掛龍也ってアートだなって最近よく思う。

七五三掛龍也の見せない美学が徹底されてないところが七五三掛龍也らしくて好き、という楽しみ方もある。メンバー(主に松松)にタレコミされてしまったりする抜け感が良い。作り込むくせに人間味があるところも七五三掛龍也の魅力。ゆるふわ天然はキャラクターではなく生まれ持った性質だろうなと愛おしく思う。好きだ。
目指すアイドルになるまで、見せたいところだけをこれからも見せてくれるといいな。SHIMELOGも無理のない範囲で続けてくれたら幸せなので、七五三掛龍也が楽しめるような活動をしてほしい。全部受け止めるから、七五三掛龍也なりのアイドル像を極めていってほしい。
今日も撮影いっぱい頑張ってくれてありがとう。龍也が毎日楽しくお仕事できていますように。


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