寛大に手加減はいらない


今週の美徳は「寛大」でした。
前回も書いたのですが、「寛大」の美徳は手加減なしに100%分かち合うことです。
見返りを考えた瞬間に「寛大」ではなくなります。ただ自分ができることを全力で与えてしまうくらいのことなのです。
とてもオープンである状態ですよね。
今週、私は無料のメール講座を作っていました。
書いているとどうしても「ここまで書いていいのか」「こんなに書いていいのか」という躊躇が生まれたのです。
そんな時に「寛大」の美徳を思い出しました。
ただ喜びのために書こうと。
そう思ったら、自由になったんですよね。
「寛大」ってすごく自由ですし、楽しいんです。
言葉だけで読むと、「喜んで犠牲になる」とか「大切な持ち物を叡智を使って分かち合う」とかなんとなくね、自己犠牲を喜ばないとならないのかな?ともやっとしたこともあるんですよ。
でも、美徳ってそういうことではないんですよね。
大切なのは、視点の切り替えなのです。
「犠牲」と思うから我慢とかしているのかな?と感じるのですが、自分が持てるもの、出せるものを喜んで差し出す、それに見返りは求めないだけと考えたら、とんでもなく潔い軽やかな喜びを感じました。
「寛大」ってすごく軽やかでオープンです。そして、慈悲深い。でも本人はきっと慈悲深いなんて思ってないんです。
「あげたいからあげるんだよ〜!」このくらいの軽やかさを「寛大」には感じましたよ。
あなたは何を感じましたか?
感謝を込めて

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