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相性とリスペクト

相性の良い人とはなんだろう。そんなことを考えていました。

アメリカの教育は、自立心や個性を育てるということに重点を置いているらしい。
子供たちは1歳になると一人部屋を与えられ、一人で寝るようにトレーニングされる。5歳頃からはサッカーなどで競争心を育み、親は子の自尊心を育てるために小さな達成や試みでも称賛をする。
それだからか、私の友人であるアメリカ人のマットは、日本人のガールフレンドの考え方や性格を、"respect"しているとよく言う。

その彼女は4歳年下で、先生をしており、馬に関わる趣味も持っているが、それがけっこう本格的。休日は毎週牧場へ行って練習をしたり、地域の人と馬のふれあいの場を作るようなボランティアにも参加しているという。
そうした趣味に加え先生という職業柄もあってか、マットはなかなか彼女に会うことができない。LINEも1日に数回程度交わすのみらしい。
さらに、一度だけ彼らと一緒にご飯に行かせてもらったことがあるが、その時気がついたのは、彼女はあまり英語が得意ではないということだ。しばしば彼の言うことが理解できず、言いたいことを伝えるのも難しかった。
マットは日本語が全くできない。

ご飯へ行く前、マットはもう2年も彼女と付き合っているけど、いまだに彼女に会うと緊張するんだ、と言っていた。
その理由がなんとなくわかった気がする。
そして、そんな話を聞いていると、彼は"respect "していると言いながら、かなり我慢をしているように思えた。

それでも、マットは日本で見つけた彼女を愛している。
彼女には、アメリカへ行きたい、アメリカで馬に関わる仕事をしたい。そんな夢があるらしい。
マットは彼女の夢を"respect"し、来年には叶えるんだと張り切る。そして婚約をした。

我慢しながらも"respect"。
会った瞬間に相性が良いと感じ、たくさん共通点がある人もいれば、合わないとこだらけなのに上手くいく人もいる。

若くて、かわいくて、スタイルがよくて、でも価値観や育ってきた環境も全く異なる。
話すうちにだんだんわかってきた。

価値観など合うことが相性であり、相性が合う人を見つけて、その人と結婚を目指すべきなのだろうか。
それとも、マットのように我慢しながらも違いを受け入れ、その違いを尊重しつつ歩んでいくべきでなのだろか。
そして、そうできることが相性なのだろうか。

どちらを目指すべきか、どちらのべき論も正しいように思うし、私には選べない。