誰かの才能を感じた時ってどんな時?


⭐︎才能ある人ってどんな人なの?

自分に対して「私はこんな才能を持っている」なんて考えたことはないが、
人と接していて、「この人は才能ある人だな!」と妬ましく思ったことは幾度もある。
それって一体どんな時だったんだろう。
身近な存在の家族と過ごしている時、日常で見えている範囲で振り返ってみた。

⭐︎私の家族を例に考えてみた

・夫=この人程あらゆる才能に溢れている人はいないと日頃から思っている。
数字に強い、分析力、コミュニケーション力、会話力、読書する時のインプットの速さ、旅行に行く時の計画性の高さ、危機管理能力、文章力、
次から次へといっぱい浮かんでくる。

ここに挙げた事は本人にとっては何て事のない日常であり、何一つ特別なことなど無いのだ。
この中には生まれ持った特質だけではなく訓練によって築き上げられたものが沢山あるのだろうけど。

・18歳息子=綺麗好き、整理整頓が得意、だけど神経質って訳ではなく大らかさも兼ね備えているから、細かすぎるところは気にしないのが良い。

幼い頃から男女とか歳の差とか障害とか国籍とか普通なら自然に境界線を引いてしまいそうな所に境界線をしかないフラットな子だった。
どこにいても隣にいる子とすぐ仲良くなってしまう、今日さっき知り合ったばかりなのに写真を撮るときは肩を組んでいるのだ。
私はこの子を幼い頃からいつも「友達を作る天才」と言っていた。

・14歳娘=根っこから明るく太陽のように周囲を照らしてくれる存在。自分の事が大好き、そして自分を取り巻く世界が大好き。
良い意味で適当=物事は大きな世界観で見る、今の瞬間にフォーカス出来る。

素直で立ち直りが早く、彼女の事について考える時その表情は勝手に笑顔になってしまう。
私は彼女のことを「人を笑顔にする天才」と呼んでいる。

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⭐︎自分には無くて人にはあるモノ

自分ではない誰かを観察する時、自分には無い部分を見て「この人は才能がある」と人は考えると思う。
私にとっては当たり前じゃないし、消耗し疲労するような事でも
やってる本人にとっては当たり前にできて何も特別な事ではない、自然と出来てしまう事。

そしてそれをやってる本人は「才能」と気付かずに過ごしているのでは無いだろうか。

⭐︎気づきにくい自分の才能

なるほど、人の才能って自分には無いものだったり、自分と比べて長けていると感じる時、気付きやすいし、よく見えるけど、自分自身の才能って当たり前で自然に出来てしまうからこそ気づきにくいものなのだ。
きっとそれは誰かから言語化されなければ気づきにくいことなのかもしれない。

自分の事をもっと俯瞰してみる時に、
そして誰かがそっとそれを言葉にしてくれた時に、自分の意外な才能が見えてきたり、その才能自体が強化されて行くのかもしれない。




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