何かを共有することは難しい
私がいくつかの映画をおすすめしたその相手が、そのわずか数日後、全く関係のない作品を「みんながべた褒めしてるから見たくて探してるんだけど」と私に言ってきた。
ディスクか何かを持ってたら見せてくれということなのだろう。
私が勧めたあれこれの話は、多分もう「なかったこと」になっている。
人の好みはそれぞれだ。わかっている。
たとえば何かの作品を10個勧めたら(一度に10個まとめて勧めるという意味ではないですよ。あくまでも累計の話)、3個は「見てみる」と言ったまま見ず、2個は「勧め方が下手すぎて見る気をなくす」といい、3個は「見たけどここが気に入らない」と言い、1個は「それは知ってる。好き」と言う。
「見てみた。よかった。いい物を教えてもらった」という反応は、1個返ってくるかどうか。
そんな人だ。
そんな人が、「誰かに勧められたもの」をいそいそと探している。
今に始まったことではない。
決してグロな作品でもニッチすぎる作品でもなかったと思うし、そんなに暑苦しい勧め方もしなかったはずなんだけどな。
結局のところ、その人にとって、私はもう「この人が好きだという何かの魅力を、できれば共有してみたい」と思える相手ではないのだろう。
人の好みはそれぞれだ。わかっている。
わかってはいるけれど、やっぱり、少しだけ寂しい。
誰かといるときのほうが、いないときよりも、寂しい。
そんな日もある。
愚痴はこのくらいにしておくとして。
その際、私が勧めた映画のひとつがこちら。
「オズランド 笑顔の魔法おしえます。」
数年前の邦画です。
私は人に何かを勧めるのがとても下手なので、これ以上のことは記しませんが、とても素敵な映画です。
未視聴の方は、是非、ご覧ください。
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