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無門関・現代語訳

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無門関の原文を現代語に訳したものです。 具体的な考察分は入れてありません。
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2022年4月の記事一覧

無門関第二十七則「不是心佛」現代語訳

公案現代語訳 本則  南泉和尚に、僧が問うた。「今まで誰も説かなかった法は、ありますか」  南泉は言った。「ある」  僧は言った。「今まで誰も説かなかった法とは、どのようなものですか」  南泉は言った。「心ではない。仏ではない。物ではない」 評唱  南泉は、ひとつ質問されただけで、家の財産を量り尽くして、へとへとになってしまった。 頌  雄弁すぎて和尚の徳は損なわれた  沈黙は金とはこのことだ  たとえ大海が桑畑に変化しても  決してお前のために教えてはやらぬ

無門関第二十六則「二僧巻簾」現代語訳

公案現代語訳 本則  清涼院の法眼という和尚のところに、僧が昼食の前に参じた。  法眼は手で簾を指した。  このとき、僧が二人居て、二人とも簾を巻き上げた。  法眼は言った。 「一人はそれでいい、一人はダメ」 評唱  さあ言ってみろ。  誰が成功し、誰が失敗したのか。  もしこれに対して、一隻眼でズバリと見抜くことが出来れば、清涼国師がどこで失敗したのかがわかるだろう。  とはいえ、くれぐれも、成功失敗という視点で考えないように。 頌  巻き上げれば そこにはただ明るい

無門関第二十五則「三座説法」現代語訳

公案現代語訳 本則  仰山和尚は、以下のような夢を見た。  弥勒の居るところに行って、第三座についた。  ある尊者が槌を打ち鳴らして「今日の説法は第三座の番です」と言った。  仰山は立ち上がり、槌を打ち鳴らして言った。 「かの摩訶衍も説いた大乗の仏法は、四句を離れ百非を絶した先にある。  さあ、よく聞け。よく聞け」 評唱  さあ言ってみろ。  仰山は、説法しただろうか。しなかっただろうか。  口を開けば失われ、口を閉じてもやはり喪われる。  開けず閉じず、十万八千。 頌

無門関第二十四則「離却語言」現代語訳

公案現代語訳 本則・直訳  風穴和尚に、僧が問うた。 「語ろうとも、黙しようとも、離微に渉る。  どうすれば、通じて、過ちを犯さずにすみますか」  風穴は言った。 「長(とこしな)へに憶ふ 江南三月の裏(うち)  鷓鴣(しゃこ)啼く處  百花香んばし」 ※本則・意訳  風穴和尚に、僧が問うた。 「どれだけ言葉を尽くして語ろうとも、微妙にその本質から離れてしまうのは避けられない。  しかし、黙っていては、そもそも、その本質を言い表すことはできない。  どうすれば、その本質を

無門関第二十三則「不思善悪」現代語訳

公案現代語訳 本則  六祖を、明上座が追いかけて大庾嶺までやってきた。  六祖は、明上座がやってきたのを見て、衣鉢を石の上に投げて寄越し、言った。 「この衣は信を表すものである。力で争うものではない。持っていきたければ持っていくといい。好きにすればいいよ」  明上座はこれを持ち上げたが、山のように動かず、躊躇し、恐ろしくなった。  明上座は言った。 「私は、仏法を求めてきたのです。衣鉢を求めて来たのではない。行者よどうかお教えください」  六祖は言った。 「善を思わず、悪を

無門関第二十二則「迦葉刹竿」現代語訳

公案現代語訳 本則  迦葉に、阿難が問うた。 「お釈迦様は、金の袈裟の他にも、伝えましたよね。  何を伝えたんですか」  迦葉は呼んだ。「阿難」  阿難は応じた。  迦葉は言った。 「門の前の刹竿を倒しておいてくれ」 評唱  もしこれに対して、一語をズバリと言えれば、霊山での説法会がいまだ終わっていないことが見てとれるだろう。  もしそうできなければ、毘婆尸仏が早々に心に留めたことの素晴らしさを、今に至っても得られないことになる。 頌  問いにいかにズバリと答えるか  

無門関第二十一則「雲門屎橛」現代語訳

公案現代語訳 本則  雲門に、僧が問うた。「仏とは、どのようなものでしょうか」  雲門は言った。「乾いた糞の棒だ」 評唱  雲門は、家が貧しく、粗末な食事を済ませることも難しく、仕事は忙しく、手紙を書く暇もない。  ややもすれば、糞の棒で、門を支え、戸を支える。  仏法の盛衰を見ることができよう。 頌  稲妻の閃光  火打ち石の火花  瞬きしようものなら  その間にすれ違ってしまう 注釈  「乾屎橛」を、以前は「くそかきベラ」と訳することが多かったようですが、現在は「

無門関第二十則「大力量人」現代語訳

公案現代語訳 本則  松源和尚は言った。 「大力量の人は、なぜ足を上げて立ち上がらないのか」  また、言った。 「なぜ口を開き言葉を話さないのか」 評唱  松源はまさに、腹を横たえ腸を傾けた。  ただ、これを受け止める人がいない。  たとえ、すぐさま受け止めたと言っても、  それならば無門のところに来るがいい。痛棒を食らわせてやる。  何故か? 聻。  真に金かどうかを知りたければ、火にくべてみるのだ。 頌  足をもたげて踏み翻す香水海  頭を下げて見下ろす四禅天  こ

無門関第十九則「平常是道」現代語訳

公案現代語訳 本則  南泉に、趙州が問うた。 「道というのは、どのようなものでしょうか」  南泉は言った。 「平常心こそが、道である」   趙州は言った。 「やはり、努力すべきなのでしょうか」  南泉は言った。 「努力しようとすれば、たちまち離れてしまうだろう」  趙州は言った。 「努力しようとしなければ、どうして道を知ることができましょう」  南泉は言った。 「道というものは、知るものではない。知ることが出来ないものでもない。  知ったというならそれは錯覚だし、知ることが

無門関第十八則「洞山三斤」現代語訳

公案現代語訳 本則  洞山和尚に、僧が問うた。 「仏とは、どのようなものでしょうか」  洞山は言った。 「麻三斤である」 評唱  洞山翁は、蛤の禅を学び得た。  わずかに口を開いただけで、肝や腸をさらけ出した。  しかしながら、言ってみろ。  どこのところに洞山のさらしたものを見た? 頌  麻三斤が際立っている  言葉は親しみやすく 意味もまた親しみやすい  是非を説こうとする者は  すなわちこれ 是非の人である 注釈  三斤の麻というのは、ちょうど衣服一着分になる分