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精神修行目的で絶食してた話(本編)

※この記事での絶食は健康的には推奨されない行為で、場合によっては死の危険がありました。マネしないでください。


さて、前置きが長くなり記事を分けましたが、ここからが本編です。

17歳の夏、友人たちとの予定もたっぷり詰まった夏休み。予定に空きがなく、どの日にしようか悩みながら最低一週間は期間をとりたいと考えており、8月初めのころにやっと一週間ほどの予定のない週を作ることが出来ました。

まずは食事回数を減らしておかゆにして…ということさえ知らない当時の私は夜ごはんに揚げ物をたっぷり食べて満腹になった後、床について「よし、明日から絶食するぞ!」と心に誓うのでした。

■当時決めたルール
・食事は一切なし。固形物を口に入れることが基本NG
・麦茶や緑茶など、無糖の飲み物はOK
・どうしても我慢できない時はガムを噛む

絶食1日目

朝、起きて特に予定もないのでPCで動画を見たり漫画を読んだりしながら過ごす。朝飯を食べられないので少し口さみしいが、当時タバコも吸っていたので特に問題なし。
昼、すでにとてつもなく空腹。食べ盛りだし当時食べる量も少なくはなかったので当たり前だ。我慢できないほどではないがすでに苦しい。
夜、食べ物のことばかり考えるようになる。腹から大きな音で空腹を告げ食べ物を求める警報が鳴り続ける。一日目でこんなつらいんか?寝れる気がしないが必死で目をつむり、なんとか深夜に眠る。

絶食2日目

朝、腹の音は収まったものの、一日目を超える空腹が続く。食べ物を具体的に想像することもできず、ただ「何か食べたい」という願望が大きくなる。口への刺激に貪欲になり、水とタバコが増える。
昼、また腹が鳴り始め、動く気にならないので横になって動画を見続ける。
夜、食べ物のことしか考えないことに慣れてきた。だが、思考が鈍り始める。

絶食3日目

朝、頭が重い。体が「動いてはいけない」と警告しているような気がする。省エネモードに入りエネルギーの消費を極力抑えようとしているような感覚。
昼夜、警告に従い、一日中部屋にこもって過ごす。漫画を読んでも文字の上っ面を眺めるように集中できないので、動画をただ流し見ながらタバコを吸う。タバコを吸うと胃がキリキリと弱い痛みを発するので吸いたくないが、口に何も刺激がないと心が折れそうになる。

絶食4日目

激しい腹痛で目が覚める。胃が大きく収縮しているような、内臓の悲鳴。
胃が痛いのでタバコを吸う気にもならない。腹痛のせいで気にならないが、頭痛も強い。空腹なはずだが、何かを食べたいという欲望も痛みのせいで消え失せてるのだけは救いだった。
とうとうここでガムに手を出す。キシリトールの甘味は心地よかったが、痛みが治まることはなかった。頭痛は少し軽減された気がする。胃痛を少しでも抑えるために、水をひたすら飲み、病人のように過ごす。
夜眠る時間が来るまでがひたすら苦痛だった。夜も痛みのせいでなかなか眠れず、数時間目をつむってやっと眠れる。

絶食5日目~

無我の境地
寝て起きたら痛みが治まっていた。あの苦しみはなんだったのだろうと疑問に思うほど、無だった。
代わりに関節が痛く、節々がギシギシする。何かを食べたいという欲もどこかに消えてしまっているし、体がエネルギーを使える状態ではないので性欲も薄い。思春期真っ盛りの自分にとって、自分の体が自慰を欲していないことにとても驚いた。
頭にはぼうっともやがかかっているかのようにも思えるが、無駄な思考がなく、すっきりしている。複雑なことを考えることはできないが、何か集中できているような感覚があった。

この感覚は数日経っても変わらず、私の体が食事を欲することはなくなった。他の人が食事をしているのを見ても特に辛くないので、外出もできるようになった。
当初の予定を大きく超え10日経ち、一週間しか予定を空けていなかったので友人と遊びに行くも「ちょっと今絶食してるんだ」と飲みなどは断ることになる。「じゃあカラオケ行こうぜ!」とノってくれる友人だったので普通に遊んでいた。

集中力があるのに思考力がない状態が続いていたので、見よう見真似で禅を始める。似たようなことをやったことがあるが、集中力がやはり段違いで、今と比較してもこの時より「無」になれたことは他にない。

絶食13日目

何日続けたかは正直記憶が曖昧だったがおそらく13日目だったと思う。
「もう俺は一生飯を食わなくてもいいんじゃないだろうか」という謎の感情を抱きながら、その日は友人と遊ぶためゲームセンターに来ていた。

そしてその近くで売っていたたこ焼きがふと目に入った時、私は直感しました
「そろそろ食わないと死ぬ」
欲望は消え去っていましたが、生存本能は残っていたか。
私は早速たこ焼きを二船買いひとつ口に入れた瞬間、脳が「食べ物!?」と驚きながらも一瞬で平らげ、私の絶食は終わりを告げたのでした。

あとがきに詳細を書きますが、この絶食方法はとても危険で絶対に真似はしないでください。個人的にこの経験で得たものは大きく、自分の思考がどのように存在しているか、どのように動いているかという感覚を得られました。
この経験をもとに他にも特殊な経験を得ることができるのですが、またそれは別の機会に。

最後まで読んでいいただきありがとうございました。


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