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【映画レビュー】ヘレディタリー/継承

※島田の映画レビューは少々~多分にネタバレが含まれる場合があります。


あらすじ

グラハム家の祖母・エレンが亡くなった。娘のアニーは夫・スティーブン、高校生の息子・ピーター、そして人付き合いが苦手な娘・チャーリーと共に家族を亡くした哀しみを乗り越えようとする。自分たちがエレンから忌まわしい“何か”を受け継いでいたことに気づかぬまま・・・。

やがて奇妙な出来事がグラハム家に頻発。不思議な光が部屋を走る、誰かの話し声がする、暗闇に誰かの気配がする・・・。祖母に溺愛されていたチャーリーは、彼女が遺した“何か”を感じているのか、不気味な表情で虚空を見つめ、次第に異常な行動を取り始める。まるで狂ったかのように・・・。

そして最悪な出来事が起こり、一家は修復不能なまでに崩壊。そして想像を絶する恐怖が一家を襲う。
“受け継いだら死ぬ” 祖母が家族に遺したものは一体何なのか?

出典:ヘレディタリー/継承 公式サイト

どんな人が楽しめる?

シンプルなホラー作品に飽きた、現代ホラーの一歩先を見たい人向け。
撮影にも構成にも隙がなく、完成度の高いホラーを求めてる人にも。

感想

「ミッドサマー」でも話題をかっさらったアリ・アスター監督の2018年の作品。驚くべきことに重鎮が撮ったかのように緻密なこの作品は彼の長編映画デビュー作なのだ。
短編映画をいくつか撮ったのち、初の長編映画で批評家に絶大な支持を受け『今世紀最恐のホラー』とまで言わしめた、まさに彼が注目を浴びた第一作である。

本作の最大の魅力は『古風でありながら、新感覚的に怖い』というところにあると私は考える。ホラーといえば幽霊が怖いか、怪物が怖いか、人間が怖いかのどれかであり、さらにアメリカン・ホラーといえば主に怪物(ジェイソンなどの怪人も含む)に襲い掛かられ、静かな緊迫した状況から大音量で恐怖をあおる効果音と音楽が流れるというのがお定まりだ。

そしてこの作品も恐怖の対象は『人間』と『呪い』と『悪魔』だ。『現代のエクソシスト』という声も挙がり、題材が似通っていることもあるが恐怖度を比較してもそれは間違いではない。
アメリカ社会に根差す、古典的な恐怖はおそらく悪魔(サタニズム)にあるのだろう。それはおそらく日本人が白いワンピースの黒髪長髪の女性を怖がるのと同じように。

今作はまるで「エクソシスト」のような恐怖体験であり、「オーメン」のように悍ましき光景であり、「ローズマリーの赤ちゃん」のような不安に駆られる、アメリカの映画文化が培ってきた土台の上にしっかりと腰を据えている。

しかし、この監督は『古風なまま』では決して終わらない。
おそらく「ミッドサマー」を語るときにも書くのだが、この監督は決してひとつの軸だけで映画を進行しない。ヘレディタリーは『実在的な恐怖』と『非実在的な恐怖』を同時に描いている。
実在的な恐怖とは、たとえば「ミザリー」や「シャイニング」のような身近な環境、身近な人間など日常的なものから得られる恐怖だ。「ヘレディタリー/継承」でも描かれるのはごく普通の『問題を抱えた家族』だ。娘はうまく社会に馴染めず、息子は悪友と大麻をやる反抗期。母親は心の病気を抱えながら必死に家を守ろうとする。なんとか機能を回復しようとする夫とはうまく噛み合わず、まさに機能不全。しかしこれは日常だ。
誰もが大なり小なり感じたことのある、もしくは聞いたことがある家族であり、本来その日常は改善したり、悪化したりしながらそのまま過ぎ去っていく。

しかし作中では、母親が起こすあるきっかけから事件が起こり、それが原因で家族の機能不全が崩壊へと変貌していく。じわじわと抗えない不幸と恐怖が浸み込んでいくように蔓延し、精神が破壊されていく様はアリ・アスター監督本人が参考にしたとも発言している映画「普通の人々」と同様に湿り気のあるトラウマを植え付け、観客に胸焼けの生じる不快感を覚えさせる。

しかしもしそれが『得体の知れない大いなる力に仕組まれたこと』だとしたら? 後半になればなるほど、非実在的な恐怖が強まるこの映画。自分の娘や、信頼していた隣人が、すべて仕組まれた罠だとしたら? そしてそれは急に現れたことではなく、自分の祖先から脈々と続く呪いの系譜だとしたら? それがどれだけの恐怖か、想像に難くない。

発狂する息子、現実とは思えない状況で死んでいく夫、そしてとうとう耐えられなくなった母親も自らその首を切り落とす。
最後のシーンはログハウスで裸の人たちに囲まれる中、息子に悪魔が降りるという胡乱な夢のようなシーンなのだが、ここだけ切り取ってしまえばただのB級映画なのだけれど、周到に用意された日常の恐怖が見事に非日常の恐怖へと昇華されているのだ。

この映画を見終わった後、帰路に就くと電気の消えた部屋の暗闇に言い知れぬ不安を感じてしまう。そこに幽霊が居るのではと怖くなる、いつものアレではない。
自分が今感じている日常は、いつ非日常と混ざり合うかわからない。
昨日寝る前に枕元に置いた本はあの位置にあっただろうか? 
昨日笑いあった友人は今日自分を陥れる悪魔に成っていないだろうか?
自分の身に起こった不幸はただの不運ではなく、必然だったのではないだろうか?
自分は本当に正気なのだろうか?

そういった今までは馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばしていたそんなホラーのフィクションとの距離がぐっと縮まってしまう、それが今作品で得られる最大の恐怖体験だ。

総評(点数)

90点(100点満点中)

間違いなく世紀の一作であることは間違いないのだが、この10点の減点は決してダメなところがあるわけではない。どちらかというと批評家のせいだ。
これは紛れもなくホラー作品だが、観客がホラーを期待しすぎると多少期待外れと思ってしまう部分があるかもしれない。批評家たちはこの作品をホラー作品として評価をしすぎた。

アリ・アスターの描く映画は古典に裏付けされた知識と巧みな技術、そして挑戦的な作品構成にこそ魅力がある。
『今までのようなホラー』を期待しすぎると少し肩透かしを食らってしまう感覚になってしまうので、ぜひこれを読んだ方は『一歩先のホラー』を楽しむ気持ちで鑑賞に臨んでほしい。

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