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マコなり社長、それは違う

先日、マコなり社長というビジネス系のYouTube動画を発信している方がこういった事を仰っていました。「友達なんか一人もいらない。」友達と話して得る事ができる情報は全て、本、SNS、ネットにある。情報を得る事が簡易になったこの時代では、友達はいらない。人間関係は、仲間9割、初対面1割で充分だ。そう言っていました。

マコなり社長はその名の通り社長であり、若くして大成功されている方です。YouTubeの登録者数も60万人を超え、ビジネス系YouTuberの中ではトップクラスの方ではないでしょうか。本田圭佑さんなど、著名人とも対談されており、ちなみに僕はその動画でこの方を知りました。非常に素晴らしい自己啓発動画を出されています。ただ、「友達なんか1人もいらない」この意見に関しては、違和感がありました。


違和感を基に少し考えました。結論から言うと、僕はこの考えは嫌いです。なぜなら人生を豊かに過ごしたいからです。こう言うとかなり浅い思考に感じますが、僕はどれだけ深く考えても確実にこの答えにたどり着きます。確かに人生の成功者になるためには、友達は必要ないかもしれません。人生の成功者は、大きな価値を社会に提供し、富と名声を得ている人と定義します。人生の成功者になれば、タワマンに住めて、高級車で高級レストランに行く事ができて、高級ブランドをたくさん買えます。皆からも称賛され、めちゃくちゃモテます。誰しもがそんな人生は豊かだと、最高だと、そう言うと思います。


当然です。僕もそんなめちゃくちゃ人生羨ましいです。ですが、僕はふと人生の終わり、死ぬ瞬間を想像してみました。

思考実験

《突然ですが、ここに二人の老人がいると仮定します。二人の老人は、危篤状態になり、病院に入院する事になります。一人は富も名声も手に入れた経営者。もう一人は地方の農家。前者はお金があるため、設備も待遇も完璧な個室で入院生活を過ごす事ができます。後者は4人部屋の狭い病室で過ごします。死ぬ間際、前者の広い個室には誰も来ません。3日に1回、息子が様子を見に来るだけです。後者は毎日のように友人や近所の人が訪れ、同室の患者に迷惑にならない程度に世間話をします。経営者のおじいさんの死後、彼には友達がいないので、身近な人で死を悲しむ人はいません。ただ彼の死はニュースで報道され、世界中の多くの人が悲しみました。農家のおじいさんの死後、たくさんの友人が悲しみ、その後何年も、彼の命日に友人達は彼の事を思い出しました。》

豊かな人生とは

皆さんはどちらの人生が豊かだと思いますか?価値観によりけりだと思いますが、僕は圧倒的に後者です。仮に自分が今死んだとして、自分の事をずっと覚えていてくれる、命日に空を見上げてくれる、そんな友人は何人いるだろうか?先日、僕が第一志望の企業に内定を貰った事を親友に報告したら、彼は泣いてくれました。半年間、二人で切磋琢磨しながら頑張ってきて、衝突した事もたくさんあったけど、本気で僕の合格を喜んでくれる、そんな友達がいる事が誇らしく感じました。そんな友人がいる事こそ、人生の豊かさなのではないかと思います。前者のような死に際を迎えた時に、自分の人生は豊かだったと心から思える自信はありません。「俺は社会に大きな貢献をした。たくさんいい思いもした。だから豊かな人生だった。」そんな事は自分を納得させるための思い込みになってしまうと思います。少なくとも僕は、絶対に寂しさで後悔します。もちろん成功者にはなりたいですが、友達を切らなければなれないものなら、ならなくてもいいです。


はっきり言って、一度しかない人生、社会に貢献する事を最優先にはできません。僕はそんなできた人間じゃないです。それよりも、たくさんの友達に囲まれて死にたいし、死んだ後も自分を覚えていてほしい。だからこそ、僕の最優先事項は人であり、身近な人達です。これからの人生、自分の中にある大切な事を見失わないように、生きていきたいなと思います。


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