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父の日記

父はずっと日記をつけていた。
3年日記とか5年日記とか、1頁に去年やおととしの同じ日の日記を書くことができる日記。
その他にもスケジュール帳にもいろいろと書きつけている。
想像以上の記録魔。

亡くなるまではもちろん父の日記を読んだことはなかった。
亡くなってから、恐々日記を開いてみた。
瞬間湯沸かしのような短気で暴言が多い父だったけれど、驚くことに一番多かった言葉は「感謝」の二文字だった。
もしかしたら、その暴言の数々で家族を始めとした周囲の人を傷つけていたことを後悔していたのかもしれない。
感謝することを見つけるために日記を書いているようにも思えた。

父の日記を読んで、私も感謝を数えて生活をしたい、と思った。
選んだ日記帳は、父をまねした3年日記。

父が亡くなってしばらくしてから書き始めた3年日記は、父の様にはいかず、ほとんどが「何をしたか」と「何が心配か」ということで埋め尽くされている。
それでも、休まず書き続けて1年以上たった。
去年の同じ日の下に今日の出来事を書くときに、去年の自分の様子を少しドキドキしながら読んでいる。

去年の今頃は心配なこと、つらかったことしか書かれていない。
始めたばかりの仕事が心配、母の具合が悪くて心配、娘が仕事を始めて心配、嫌な夢を見る、眠れない、食事がとれない、寂しい、悲しい、一人がつらい…。

日記をつけるたび去年の自分に向き合う。
つらい出来事が書かれていることがあるから、その時の自分と重ね合わせてまたつらくなる。
でも、もしかしたらそうやって乗り越えてきているのかもしれない。

もしかしたら父もそうやって乗り越えるために日記をつけていたのかもしれない。

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