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「フリースクール発言」について思うこと

滋賀県 東近江市の小椋市長の「フリースクール発言」報道を見て、10年以上前のあることを思い出しました。

私の娘は高校生になって突然学校に行けなくなりました。
公立のそこそこの進学校でした。
離婚してシングルとなり、不安な中でフルタイムで仕事を始め、手探りで多感な時期の子育てをし、高校受験のための塾に通わせるために自分は美容院にも行けず服も買えず、もちろん外食などはほとんせず、子供にも本当に我慢をさせて節約節約の毎日を越えての希望校合格。
当時は公立高校の学費も必要だったし、下には息子が控えていたのでどれだけほっとしたかわかりません。

そんな中、突然の不登校…。
中学までほぼ無遅刻無欠席だった娘の変わりように愕然としたし、どれだけ頑張って学校に行かせようとしたかわかりません。
慣れない仕事で疲れ切って、帰宅しようとロッカーから荷物を出して携帯を見ると留守番電話が入っていて「娘さんがお休みされましたが連絡がありません。どうされたでしょうか」との担任からの伝言を聞いているときの風景はいまだに心に焼き付いています。

帰宅してからの娘とのやり取りもとても気持ちを消耗させました。
娘を学校近くまで送ってからギリギリで出勤した日々もあったし、とことん話し合ったときもありました。
学校に行かないことの不利益についてもこんこんと説明しました。

でも娘は行きませんでした。
行く事ができなかった。

当時の娘の気持ちは私にはよくわかりません。
ただ、わかっているのは娘もとても焦っていた、ということ。
行こうとしても行けない、行けない自分に嫌気がさす。

あとあとになって娘と話して何となく思ったのは、離婚に至るまでの経緯、生活レベルの低下による環境の変化、中学の時の校内の状況や人間関係…我慢し続けてきた緊張が、経済的な負担を軽くできる希望校に合格したことによって一気にほどけてしまったのかな、ということでした。

一番苦しかった時に職場の年配の男性スタッフが発した言葉が小椋市長と全く同じ言葉でした。
そのスタッフは私の娘がそんな状況だったことは知らなかったし、私とは良好な関係でしたのでもちろん私を傷つける意図はなかったのです。
でも
「学校に行かないのは、子供と親の怠慢」
「親が引きずってでも連れて行かないから子供がそれでいいかと思う」
「そんな子供が増えたら日本はどうなるのか」
悪気なく発せられた言葉に本当にめまいがしたことを覚えています。

思い出すのもしんどいような娘とのやり取りが続き、結局万策尽き、最終的に私たち親子が選んだのはフリースクールでした。
やはり不登校の子供を持つ保護者の自助グループで相談をしてアドバイスを受けたのです。

もちろん勉強もしましたが、お芝居を見に行ったりスポーツ観戦に行ったり…「え~、楽しそうな授業でいいね」と思ったこともありました。
でも、だんだんと表情が柔らかくなってきた娘に「2歩下がっても2.1歩進めればいいか」と思うようになりました。

最終的に学校に行く事ができなかった、という経験は、その後も何かにつけて娘の自己評価に影響し、前向きになろうとする彼女の足かせになりがちです。

そんな娘もパート社員、パートリーダー、そして社員という経歴を経て社会から認められたことで、自分の人生にようやく前向きになることができるようになってきたと思います。

フリースクールがなかったら、もしかしたら今娘は存在していなかったかもしれません。

ここまで来るのに私なりにできる限りの支援をしてきました。その支援の方法が正しかったのか間違えだったのかもわかりませんが、とにかく必死でした。
全然しっかりした親じゃなかったし、あまりにもうまくいかない時には自暴自棄になったこともありました。

子供が学校に行くことも行かないことも、そこには子供の数だけ理由があると思います。
それを十把ひとからげにして、公の場所で発言をしてほしくないのです。
小椋市長は同じような経験をされたことがあるのでしょうか。
謝罪されたあとに「自分の信念なので撤回する必要はない」
というような発言もされたようですが、たとえそれが質問のしかたによって引き出されてしまった言葉だとしても、その発言は間違っていると思います。
「撤回する必要はないけもしれないけれど、その信念を変えてください」
と言いたいです。

10年以上たった今でも
「子供が学校に行かないのは、引きずってでも行かせない親が悪い」
と言われた言葉が未だに強い憤りと共に思い出されます。

その考え方で子供を追い詰めて、余計傷つけてしまったのではないか、と悩んで悩んで悩みぬいていた母親からのお願いです。

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