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原作者の喜びと痛み

 結局、敷村良子名で書いた小説で残っているのは『がんばっていきまっしょい』だけだ。これが、映画、連ドラ、劇場アニメと、かなり間を開けて、3回も映像化され、しかも昭和、平成、令和と時代設定が変わるのも、珍しいかもしれない。
 ①女子高校生が主人公、②部活もの、③青春物語で、主人公がいたって普通で、能力的に並み以下なんだけど、ひたむきにがんばる点に、制作者の方々が何かを感じて下さるのだと思う。
 オファーは突然来る。どうやって売り込んだんですか、と聞く人もいるが、何もしてない。出版社の人が売り込んだわけでもない。
 幸い私の場合は、制作者がみなさんまじめで、真剣に良いものを作ろうという決然とした意志がある点で共通している。誠意のあるクリエイターの人ばかりで、特にプロデューサーの方々には恵まれていると思っている。
 映像化の話が最初に出た時、当時の出版社の担当者は、映像化の話はダメになる方が多いから、期待しないように、と釘を刺されたが、とんとん拍子に話が進んでいって、出版社の人も喜んでくれた。
 私自身、単に運がいいのかなと思ったこともあったが、この年になると、主人公の悦子の前向きな明るさが良いのだと思うようになった。これは、実は私ではなく、実際に廃部になっていた女子ボート部を復活させたみさ子先輩の人柄である。常にみんなを引っ張っていく人で、今もみさ子先輩の周りには人が集まっている。ほぼ毎日、夫以外の人と会話しない私とは正反対だ。松山市主催の坊っちゃん文学賞の規定は「青春小説」で、私なりに夏目漱石の『坊っちゃん』を読み返したら、やはりじぶんの実体験は暗すぎてダメだと直感的に思った。
 みさ子先輩には年を重ねるごとに感謝の気持ちが増す。
 今回の劇場アニメ化で、私がお願いしたのは、過度な性的表現は避けて欲しい、それと、ギャンブルと反社は出さないで欲しい、これだけで、令和に時代を変えることも当然だと思い了承し、アニメとしておもしろくしてもらって、制作者の皆様が楽しんで取り組んでもらえれば、すべてお任せするとお伝えした。ただ、ボートの技術的な指導者は紹介したり、原作の舞台はできる限りお伝えした。私だって、女性の商品化が問題なのは、私なりに勉強して、どういう意味を持つかは重々承知している。
 連ドラの時はシナリオは金子ありささんという才能豊かな方で、これも私は原作が短いので覚悟していたが、上手に毎回、起伏のある物語で10回つなげてくださった。本当にすごいワザだと思った。視聴者から原作にないシーンがいいという声も多かった。
 反響が大きければ大きいほど、誰かに何かを言われるたびに、ちょっとずつ、原作者は傷つく。映像化とはそういうもの、と、腹を括るしかない。
 松山市の血税で運営する賞をもらった作品なので、映像を見て、松山を訪ねてくれる人が増えると、地元受賞者として責任を果たした気持ちになる。
 また、ローイングという競技人口が少ないスポーツに、私の小説でなくていい、映像化された作品を見て、取り組んでくれる選手がひとりでも増えれば、補欠とデブであがり症のコックスという、末端の競技者の私にも大好きなローイングに貢献できたと思える。
 作品にはひとり歩きというか、はばたいてもらって、私はあきらめずに新しい小説に取り組む。三回、原作者を経験して、私が学んだのは、そういうことだ。書く作品すべて映像化される作家の方は、国内外に多くおられる。評価が高くファンも多い作家の方々は、自作の創作に集中している。 
 ところで、私は修士一年で二作書いて、物語が完成できるようになり、4月ひと月で続編を原稿用紙300枚弱、書いて、自分的にはやっといいプロットにたどりついたと満足したのだが、専門家の判断は厳しく、出版のめどが立たない。これからもっと自己客観視して改稿していく。
 大学院の昨年一年の学びのおかげで、私は物書きとしても人間としても少し強くなった。
 私にできることは新しい作品をあきらめ悪く、ぐじぐじと書くことだけだ。傷つくこともあるけど、さらっと聞き流す。それしかない。
 



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