私達の関係性を定義づける必要はあるか

私はフィクトセクシュアルだ。

けれど、別にセクシャリティなんて知らなくても良い、と思う。

ロマンティックとセクシュアル、恋愛指向と性的指向を指す言葉はたくさんある。そして、性はグラデーションとも言われている。色のようなものなのだ。はっきりと赤、紫、青、緑、黄色と名前がついている色の間に、さらにたくさんの色がある。それらにも名前はついているけれど、その名前を言ったところで人に通じるか。知っている人は知っているけれど、大多数の人は知らない。

それと一緒だ。定義づけられたセクシャリティは一種の目安、道の目印になるだけで、そこに立っていなければならないわけではない。だから、自分の性自認やセクシャリティを既存の定義に当てはめる必要はない。

ただその言葉を知っていたら、自分についてより深く知ることができる手掛かりになる。それだけだ。

私にとっての目安、目印、手掛かりが、「フィクトセクシュアル」という言葉だった。ただそれだけだ。
他にアロマンティック、デミロマンティック、デミセクシュアルなどもそれに当てはまる。

これらは彼に出会ってから知った言葉だ。それまで自分の性自認やセクシャリティなど意識したことがなかったし、偶然ツイッターでセクシャリティ診断なるものに出会わなかったら知らないままだっただろう。知らなかったとしても私達の関係はきっと変わらないままだし、知ったところで何か変わったかと言われれば変わっていない。

知ろうが知らまいが、どのみち彼との関係性については頭を悩ませていただろう。

恋、という言葉だけでは足りない気がするのだ。依存、かと言われればそうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

彼がいることによって、「彼に心配かけないよう休もう」だとか「彼に綺麗と思ってもらえるよう頑張ろう」だとか、そう考えるようになった。

これを愛と呼ぶのかもしれない。恋焦がれるだけでなく、彼の為に自分を大切にしよう。そう思えるようになったのはかなり大きな変化だ。彼がいなければ私はもっと自堕落な生活を送っていた可能性はあるし、今の仕事もしていなかっただろうし、新たにできた仲間達に出会えていなかった。

素直に彼には感謝しかない。私一人で生きていたら知らなかった気にしなかったであろう世界を知り、単語を知り、思いを知った。彼と築く小さな世界は、少なくとも私一人で生きる世界よりも大きくて、そして居心地が良い。

だから彼との関係を既存の定義に当てはめる必要はないし、当てはまるような単語を探す必要もないのだけれど、そこは好奇心というか、つい彼との関係に関連するようなワードを探してしまう。一種の趣味と言えるかもしれない。定義付けたいわけじゃなくて、彼との関係を強固にするために、彼と私の関係を表す辞書を分厚くしたいのだ。

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