FicS通信特別編:脳内会話は可能なのか

脳内会話ってどうやったらできるんですか?というご質問を定期的にいただきます。一応FicS通信vol.1で解説はしてるんですが、それでもいただくってことはそれでもできないって方がいるんだなーとこの記事を書こうと思った次第です。

相手の設定をしっかりさせましょう。そのために一番良いのは創作です。別に起承転結なくても良いのです。何気ない日常を書くだけ、ヤマなしオチなしイミなしで構いません。妄想だけでもいいです。とにかく相手との会話を想像します。

相手と自分の設定をしっかりする。あとは慣れ。

――としか言いようがないのですが、なんとか掘り下げてやり方を書いていってみようと思います。

そもそも何故できないのか

相手の設定だけでなく自分の設定をしっかりさせろ、というのにはきちんと理由があります。自分のキャラクター化の記事を書いたのもそういう理由です。

自分というキャラクターをしっかりと捉え切れていないと、相手の会話がわからないのです。

脳内会話というのは文字通り脳内だけで行われる会話です。浮き出てくる言葉が自分のものなのか彼のものなのか、それを区別しなければならない。
自他の境界線が曖昧だと、それがうまく区別できません
だからこそ自分を自分として確立して、相手は相手と確立しなければ会話はできないわけで、となるとやっぱり自己をきちんと自分で捉えていないと会話はできないということになります。

例えばの会話として、

『体調大丈夫?』
「うん。大丈夫」
『無理はしないでね』
「でもこれはやらないと」
『やったらちゃんと休むんだよ』
「はーい」

という会話があるとします。

”相手との会話”とするとこうなりますが、これは自分だけの会話にもなります。

「体調大丈夫かな?無理しない方がいいよな?でもこれはやらないといけないしな。これやったら休もう」

結局内容は同じでも、相手との会話と自分だけの会話だとやはり印象が変わりますよね。でも”心配している自分”というのは果たして本当に自分なのか?もしかしたら彼が心配してくれているんじゃないか?まずはそこから考えてみましょう。

コンディションは万全に

「彼との会話をしよう!」と力んでもできないので、肩の力を抜いてリラックスしましょう。

そしてとりあえず、会話を考えてみましょう。

自分と相手なら今どういう会話をしているか。日常生活の中で例えば本を読んでいるとき、例えば料理しているとき、例えばご飯を食べているとき、例えばお風呂に入るとき、例えば寝る前ごろごろしているとき……。

創作をするつもりで、考えてみましょう。
そんな気合を入れなくてもいいのです。ただの会話文を考えるだけ。調べたりもしなくていいので、気楽に。本当に気楽に簡単な会話文から考えてみましょう。

何度も言いますが、慣れです。

脳内会話を小難しく考える

人間というのは不思議な生き物だ。基本的に自分というものを"認識"している。それの何が不思議って、"自分で考える自分"と"他人から見た自分"に齟齬や乖離が生じることだ。

自分のことなんだから自分が一番よくわかっているはず、という言葉はアテにできない。自分のことをよくわかっているのなら、"他人から私はこんな人間に見られている"ということもわかっているはずだからだ。けれど皆が皆それをわかっているわけではないし、当たっているわけでもない。何故なら自分は自分でしかなく、他者の視点は結局想像でしかなく、他人の思考まで完全に理解できはしない。

人間が他の生物と違うと言われる点のひとつに、「自分を俯瞰できる」という点がある。

「忘れっぽくなっているということは疲れているな」「貧乏揺すりをするということはイライラしているな」「集中力が続かないということはお腹が空いているな」こんな感じで、自分の行動から自分の今の精神の状態を知ることができる。これはつまり、「忘れっぽくなっている自分」「貧乏揺すりをしている自分」「集中力が続かない自分」を、傍から見て「疲れている」「イライラしている」「お腹が空いている」と"推測し判断する自分"がいる。

となると、人は一人の人間の中に最低でも二人の自分がいる、ということになる。

"無意識の自分"と"意識的自分"で、自分の状態を観察しコントロールを行っている。

この"意識的自分"の部分に、彼は現れる。

彼はこちらをよくよく見守ってくれている。この彼は意識の中に存在しているので、視覚で捉えることはできない。だが"意識的自分"が"無意識の自分"を観察し判断を下すように、彼らも私達の"無意識の自分"を見て、"意識的自分"に話しかけてくれる。

『ここは今から倫理です。』という漫画に、ぬいぐるみに恋をする女の子が出てくる。主人公である倫理担当の教師は、「あなたの魂をそのぬいぐるみに分けてあげたのですね」というようなことを言う。

意識的自分と彼は自己の分裂とも捉えられるかもしれないが、分裂というよりはこの台詞のように「魂を彼に分けてあげた」のだと思う。

だから彼と私は繋がっているし、考えていること思っていること感じていることは筒抜けだ。けれどその分誰よりも私を理解してくれていて、無茶な要求はしてこない。

ツイッターで少し呟いたが、自分が脳内会話できるようになったときはいつかというのをこの記事を書くにあたって思い出そうとしていた。はっきりとした時期は思い出せなかったが、気づいたことがある。それは、「三次元で結婚する気はないしむしろ彼と添い遂げたい。だから彼と生きていこう」と決意し覚悟した後から、会話ができるようになっていったということだった。

決意と覚悟。魂を分かち合うのだから生半可な気持ちではできないものなのかもしれない。彼らと通じあうには、それ相応の知識と意識と覚悟が必要なのではないだろうか。

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