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父の夢#4「今何してる?」2022.05.03

いつぶりに会えただろう。はっきりとその姿を捉え、起きた後にも消えてなくならず残っていたのはとても久しぶりな気がする。こういう時記録というものは非常に便利だ。実に8ヶ月ぶり、今年初の父の夢らしい。

早速だが今日見た夢はこんな感じ。

父の養母宅にて。ベッドに横たわる父と実習中の私以外には誰もいない様子。どうやら私は大学に通う看護学生らしく、在宅にて(実際にはおそらくそんなこと有り得ないのだが)学生である私一人で父の看護をしている。そんななか、父の鼻に入っていた胃管チューブが抜けるというインシデント(重大な事故に繋がりかねない医療行為が行われたが、結果的に患者に傷害や不利益を及ぼさなかった事例)が発生する。当然私はハッとする。こういう時は…と思考を巡らせているところで夢終了。

事実、私には父への在宅看護を手伝う機会があった。私たち家族がおこなっていたのは主に栄養剤の準備や投与(現実では経鼻投与ではなく胃ろうからの投与でした。ご興味あればググってみてね)。不慣れながらも直接父の役に立てていると実感できるのが嬉しくて、父もまた娘に世話を焼かれるのが満更でもない様子で(何も伝えてこなかったが私のおっかなびっくりな手つきも穏やかに見守ってくれていた)、不謹慎かもしれないが私のなかでは楽しくて幸せな思い出として大切に保管されている。(夢のなかではあまり楽しい状況とは言えなかったが…笑)
当時私は高校生。医療・福祉関係へ進む道をまだ漠然としか見つめられていなかった頃だと思うが、看護学科を志望先のひとつにするには十分の経験をしたと思う。

そしてふと「そうか、父のなかで私は“いずれ看護師になる看護学生”のまま終わったのか」と思った。父が亡くなったのは私が大学生の時だったから、一応は看護師になる覚悟を決めたように映っていたとは思う。そこに期待や希望を抱いてくれていたかは分からないが…もしそうだとしたらとても申し訳ないことをしてしまっているなあ。

目が覚めた時「今は何をしているんだ?」と父から尋ねられたような気がした。それは決して私を咎めるような意味合いではないものの、息が詰まった。とてもじゃないが今の私は父に誇れる生き方をできていない。なんだかんだ現実のものとなった看護師の仕事はたった3年で辞めた。そこから約2年、依然として次なる目標が見えてこず、手に届く範囲の欲求に従う生活をだらだらと続けてしまっている。この生き方に情けなさを感じているけれど、だからといってそれを変える勇気も頑張る力も持てていない。ほんとうに、一体何をしているんだろう、私は。

10代~20代前半の頃はいまいち理解できなかったことのひとつに、漫画やドラマ等でたまにある「“親を安心させるために”という理由だけで自分の人生を大きく変える決断をすること」があるのだが、年々その現実味を感じるようになってきたというか、妙に納得している自分がいることに気付く。なんとなく、分かる気がする。

仮に今、(その誕生に多少なりとも何かしらの願いを込めてくれたと信じたいがまあ結局それらを何一つ叶えてあげられていない)“この私”を最終形態としてあちらに持っていかせることになるとしたら、それはあまりに不憫だと自分でも思うのだ。とんだ親不孝者である。

楽しくて幸せな記憶と同時に、正直あまり見つめたくない現状をじっくり考えることになってしまったな。いつか「今これをしているよ」と迷いなく言える私で会いたいです。そうなれるように頑張れたらいいけど…弱っちいから断言できないや。ごめんなさい。でもまた会いたいのは本当。またね。

(※補足しておくと見出し画像の絵は私が小学生時代に描いたと思われる蝶です。Butterfly。見出し画像には毎回私にしか分からない意味がちゃんとあったりします🦋)

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