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食パンと初恋と学級裁判の話

思い起こせば数十年前、小学生の頃のことです。

私の小学校は給食制で、
月に1度の頻度で出るカレーライス以外はまずくてまずくて仕方がなく、特に食パンが苦手でした。

食パンは基本トースターで焼いて食べるものだと思うのですが、
昭和の田舎の小学校にそんな洒落たものはなく、しなびた食パンに一袋のジャムで、なんとか喉に押し込んでいたものです。

しかし小学四年生になった頃、

それまで1枚だったパンが、ある日突然 2枚に増量されました。

しかしジャムは1袋のまま…。

ジャム1:パン1でギリ完食していた私にとって、ロジカルシンキングをする間でもなく、
パン 1枚が余ってしまうのは当然の帰結です。

当時の担任の先生は非常に厳しい方で、
「給食を全て食べきるまで遊びに行ってはいけない」というルールを設け、
それを厳格に課してきました。

私は私で、どうしたって1枚余ってしまうパンを見つめてる内に、いつの間にやら給食の時間は終わってしまいます。

そして昼休みを迎えた級友たちは外へ遊びに出かけ、ドッジボールにいそしみます。
運動場から聞こえる楽し気な声を聞きながら、私はひとりでパンとにらめっこ。

昼休みが終わると、次は掃除の時間です。

教室にあるすべての机とイスを後ろに下げ、掃き掃除と拭き掃除を行ったあとそれらを元に戻すのですが、その間も私はひとりでパンとにらめっこです。

そうして午後の授業が始まる頃になって、やっと先生はパンを持ち帰ることを許してくれるのでした。

そんな一人ハンガーストライキが1か月ほど過ぎたある日、毎日下校前に行われる「おわりの会」で事件は起きました。

「おわりの会」ってどこの学校でもやっていたのでしょうか。

私の小学校では、
「今日あったよかったこと、困ったこと、先生に言っておきたいこと」などを挙手性でみんなと先生の前で伝える、
それはそれは大変気の重い、まるで学級裁判のような会でした。

ある男の子が、「今日困ったこと」の議題のタイミングで挙手し、

「アキくんが、いつも給食を食べ終わらないため、掃除の邪魔となり大変困っています」

と意地悪な原告となり、
私を被告とした訴訟を起こしてきたのです。


静まり返る教室…


被告人である私に反論の余地はなく、
ただただ黙り俯くだけでした。


息がつまるかと思うほどの沈黙の1分

この静寂が永遠に続くのかと思われたその時、

Kさんという女の子が立ち上りました。

「給食を食べる時間は人それぞれだと思うので、仕方ないと思ます!」

…女神はクラスメイトにいました。

満場一致で有罪となりそうだった私にも、弁護士はいたのです。

この時から私は、Kさんに特別な感情をもつようになりました。

それが恋と呼ばれるものだと知るのは、もう少し後になってからでした。


この裁判の日以降、パンを残すことは先生も不問として下さり、それ以来私もドッジボールや掃除に参加するようになりました。

持ち帰ったパンは、母がラスクにしてくれました。

Kさんは5年生になったある日転校してしまい、私は自分の気持ちを伝えることは出来ませんでした。

大人になってから、風のうわさで彼女は弁護士になったと聞きました。

3つ子の魂100までと言いますが、
何十年も前のことでも、人に優しくされたことは覚えているものです。

トースターで焼いたおいしい高級パンを食べながら、なんとなく思い出したのでnoteに残しておきました。

またね!

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