見出し画像

「マーリン」って誰だ?

シェイクスピアの『リア王』に出てきたマーリン

リア王を読んでいたら、こんな一節がでてきました。語っているのは、リア王について回っている道化です。

「俺はこの預言を、いずれあの何百年も前のマーリンめにさせる積もりだ、そうとも、俺の方があいつより先の時代の人間だからな。」

福田 恒存(翻訳)

このマーリンとは誰なのか?

アンブローズ・マーリン

詩を口述筆記させるマーリン、13世紀のフランスの本の挿絵

このマーリンは、アンブローズ・マーリン(Ambrose Merlin)。12世紀の偽史(作り物の歴史)『ブリタニア列王史』に登場する魔術師です。

グレートブリテン島の未来について予言を行い、ブリテン王ユーサー・ペンドラゴン(Uther Pendragon)を導き、ストーンヘンジを建築したとされています(フィクション)。

ストーンヘンジ(Stonehenge)は、ロンドンから西に約200kmのグレートブリテン及び北アイルランド連合王国南部・ソールズベリーから北西に13km程に位置する環状列石(ストーンサークル)のこと。
garethwiscombe - https://www.flickr.com/photos/garethwiscombe/1071477228/in/photostream/, CC 表示 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=13278936による

後の文学作品ではユーサーの子アーサーの助言者としても登場するようになりましたた。アーサー王伝説の登場人物としては比較的新しい創作ではあるものの、15世紀テューダー朝の初代ヘンリー7世が自らをマーリン伝説に言う「予言の子」、「赤い竜」と位置付けたため、ブリテンを代表する魔術師と見なされるようになりました。

『ブリタニア列王史』

The History of Kings of Britain
https://amzn.to/3LFBQpD

『ブリタニア列王史』(ラテン語: Historia Regum Britanniae)は、1136年頃にジェフリー・オブ・モンマス(Geoffrey of Monmouth)がラテン語で書いたブリテン(グレートブリテン島)に関する偽史書。ホメーロスの『イーリアス』に登場するトロイア人たちの子孫がブリテン国家を建設するところから、7世紀のアングロ・サクソン人によるブリテン支配までの2000年間のブリトン人王たちの生涯を年代順に物語っています。「アーサー王物語」など「ブルターニュもの」(Matter of Britain)は、グレート・ブリテン(大ブルターニュ)フランスのアルモリカ地方(小ブルターニュ)、そしてそれと関わりのある伝説上の王や英雄、特にアーサー王をめぐる一群の中世文学と伝説資料の集合的呼称)の核となっています。

レイア(リア王)と3人の娘たちの話のわかっている限りで最古のヴァージョンがこれに含まれています。

ということでリア王のもとの話がそもそも『ブリタニア列王史』に含まれているものでした。

マーリンのモデル

ラテン語で書かれた『ブリタニア列王史』ではアンブロシウス・メルリヌス(ラテン語: Ambrosius Merlinus)という名で現れます。 これを英語読みするとアンブローズ・マーリンとなります。 ウェールズ語読みでは、マルジン・エムリス(ウェールズ語: Myrddin Emrys)。このフルネームはどちらかが姓でどちらかが名という訳ではなく、アンブローズはマーリンの別名で、それを並べただけです。

『ブリタニア列王史』では、実在の人物であるかのように描かれていますが、現在では著者のジェフリー・オブ・モンマスが、実在のローマ系ブリトン人の将軍アンブロシウス・アウレリアヌスと、半伝説的なウェールズの隠者マルジン・ウィスルトの物語を組み合わせて作った人物と考えられています。マルジンは、発狂して森に暮らすうちに予知能力や戦術を身に付けたと言われる人物です。

出生


『ブリタニア列王史』では、ウェールズ南西部の小国ダヴェドの王女が、夢魔(インキュバス)に誘惑されて生んだ子とされています。劇中では、アプレイウスの『ソクラテスの神について』が引かれて、インキュバスとは「地と月の間に住む精霊で、一部は人で一部は天使である種族」と説明されており、夢魔とマーリンは聖なる存在として扱われています。その一方で、1200年前後に書かれたロベール・ド・ボロンの『メルラン』では、夢魔は悪魔として描かれ、その息子であるマーリンは反キリストになるべくして生まれたが、すぐに洗礼を受けたため悪には堕ちなかった、とされています。

『マーリンの予言』と赤い竜・白い竜

「赤い竜」と「白い竜」の上でヴォーティガーン(右)に予言するマーリン(左)

生まれて後、母は尼僧となり、マーリンは、父も知らぬままカーマーゼン(「マーリンの砦」)という街で暮らしていました。ある時、暴君ヴォーティガーンが、家臣の魔術師たちに唆されて、新しい塔の人柱とするために「一度も父がいたことがない若者」を連れてくるように部下に命じ、条件に合うマーリンとその母親が連れて来られました。母親の供述と宮廷学者のモーガンティアスによってマーリンの出生が明らかになると、それまで黙っていたマーリンは口を開いて、宮廷魔術師たちを無能であると看破し、新しい塔の建築がうまくいかないのは、人柱がいないからではなく、塔の地盤の下に池があり、その池に穴の空いた二つの石があって、それぞれの石に竜が眠っているからだと予言しました。工事をしてみるとはたしてその通りであったので、人々は畏敬の念をマーリンに対して抱きました。

ジェフリーはさらに列王史の7巻をまるごと『マーリンの予言』という予言詩に当てています。この巻では、ヴォーティガーンの眼の前で、前述の二匹の竜が目覚めて、白い竜と赤い竜が争い、赤い竜が負けて逃げ去ります。王がマーリンに謎解きを求めると、マーリンは涙を流し、白い竜はヴォーティガーンが傭兵として呼び寄せたサクソン人を、赤い竜はブリテン諸国を表すのだと言う。 続けて、目の前の光景のように、白い竜つまりサクソン人がこの島を征服するだろう——しかし、遠い未来、いつの日かきっと赤い竜たるブリトン人が再び立ち上がり、島を解放するだろう、と予言します。

ストーンヘンジの建築

巨人がマーリンを手伝いストーンヘンジを作る図、『ブリュ物語』

予言を終えたマーリンは、ヴォーティガーンの弟である オーレリアン・アンブローズ(アンブロシウス・アウレリアヌス)とユーサーの軍勢が明日トットネスに上陸し、悪逆を尽くした兄王を誅殺するであろうことを伝えました。ヴォーティガーンは父コンスタンティン2世と長兄コンスタンスを殺して王位を簒奪したため、下二人の弟はそれを恨みに思っていたのでした。

予言の通りオーレリアンが勝利して新たなブリテン王となり、戦勝碑を作ることになります。素材の候補を選定するために、森の中に隠棲していたマーリンを探しだすと、マーリンはアイルランドのキララウス山中にある「巨人の舞踏」という巨石を使うのが良い、と答えます。これ聞いた王は初め一笑に付しますが、マーリンが重ねて太古の巨人がアフリカからアイルランドに運んだ魔法の石であること、石には治癒の効果があることを説くと、弟ユーサーに一万五千の兵を付けてアイルランドに向かわせました。

ユーサーの遠征中にオーレリアンが毒殺されると、夜空に、二つの光線を吐く竜の形をした星々が現れました。マーリンに占わせると、兄王が死んだこと、ユーサーは戦に勝利すること、光線のうちガリア(Gallia:ガリア人(ケルト人の一派)が居住した地域の古代ローマ人による呼称)に伸びるのは後に生まれる彼の息子(アーサー)がガリアを征服すること、もう一つの弱々しい光は娘(アン)の息子と孫たち(モードレッドとその二人の息子)がブリテンを継ぐことを示すと言いました。 アイルランドに勝利した後、王位に就いたユーサーは、マーリンの予言を思い出して黄金で二つの竜を作り、ペンドラゴンすなわち「竜の頭」と名乗るようになりました。

ユーサーは、エームズベリーに「巨人の舞踏」を使った巨石建築群を立てて死ぬまでそこで指揮を取り、崩御後もその下に埋葬されました。この巨石建築群は後世にストーンヘンジと呼ばれ、オーレリアン、ユーサー、アーサー、コンスタンティン3世の四代のブリテン王のうち、アヴァロンの島に旅立ったアーサーを除く三人が葬られているのだといいます。(ストーンヘンジは、紀元前2000年より以前に立てられた建築物であるため、これももちろん偽史)。

アーサー王に仕えるマーリン

ある時、ユーサーは、コーンウォール公ゴルロイスの妃イグレインに一目惚れしてしつこく言い寄り、それが元でコーンウォールと戦争状態になりました。

コーンウォール

コーンウォールの位置
Nilfanion - Ordnance Survey OpenData:County boundaries and GB coastlineNational Geospatial-Intelligence AgencyIrish, French and Isle of Man coastlines, Lough Neagh and Irish border, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11890105による

ユーサーは、戦争になってもイグレインのことしか考えられなくなったため、マーリンを呼び出し、 魔法の薬で二人はゴルロイスとその従者に化け、イグレインのいるティンタジェル城に侵入して一夜を共に過ごしました。この時、イグレインが懐妊したのが後のアーサー王。 なお、ユーサーがベッドに入るまさにその直前、ユーサーが軍を指揮していないと見破ったゴルロイスはブリテン軍に突撃したものの返り討ちにあって敗死しており、散文『アーサー王の死』では、イグレインは前夫が死んだ三時間以上後にアーサーを身ごもったのだから、アーサーは不義の子ではなく嫡出(ちゃくしゅつ:法律上の婚姻関係にある嫡妻から生まれること⇔庶出)の王なのだ、とマーリンが他の家臣らに釈明する場面があります。

『ブリタニア列王史』ではマーリンの具体的な登場はここで終わりますが、後の章では「マーリンがアーサー王に予言した」という文があるので[18]、引き続きユーサーの息子のアーサー王にも仕えたのだと推測でききます。『アーサー王の死』では、アーサー王の治世下では、即位に反対する勢力との戦いに助言して王を勝利に導き、王を「湖の貴婦人」の元に導いて聖剣エクスカリバーを授けたりするなどの活躍を見せています。

また、同小説では、やがてアーサーの実子、モードレッドが国を滅ぼすことを予言し、 モードレッドを確実に殺すために貴人に産まれた5月1日生まれの子供は全て虐殺するように助言しています。この事件のため、多くの貴族から恨まれました。

マーリンの末路


エドワード・バーン=ジョーンズ『欺かれるマーリン(左)』

『ブリタニア列王史』では、マーリンの恋路や顛末は特に記されていませんが、後世の文学では、マーリンは数多くの女性に言い寄る色男とされ、最後にしっぺ返しとして女妖精の一人(湖の貴婦人、湖の乙女)ニミュエに封印されたと語られています。“魔法使いと妖精”という幻想的なテーマは、特にヴィクトリア朝ラファエル前派象徴派の画家たちに好んで画題とされました。

『アーサー王の死』では、アーサー王と妃グィネヴィアの結婚式の後、マーリンは湖の乙女の侍女の一人であるニミュエに夢中になってしまっています。ニミュエはペリノア王が宮廷に連れて帰ってきましたが、ニミュエの側でもマーリンの魔術を全て習得したいという欲があり、しばらくは二人で交際していましたが、肉体関係はありませんでした。マーリンは、アーサー王に対して近いうちに自分は生きながら地中に埋められるだろうからと前置きして、国の行く末をあれこれと予言し、エクスカリバーとその鞘だけは絶対に護るようにと忠告すると、ニミュエと一緒に旅に出ました。旅の道中も、マーリンは魅了の魔法を使おうとしたりするなど、度々強引に彼女の純潔を奪おうとしたため、ニミュエはうんざりすると共に、マーリンが悪魔の子なので恐怖も湧いてきたという。 途中、魔法で大きな石の下にはまっている岩があり、マーリンはニミュエをそこへ案内しました。ニミュエは「まあ不思議、よく見せてください」と誘導してマーリンを石の下に潜り込ませると、どんな魔術を使っても二度と出られないようにし、そのまま立ち去りました。

なお、マーリンを生き埋めにしたニミュエはその後に円卓の騎士の一人ペレアス卿と結婚し、魔術の力で王や円卓の騎士全員を助けています。 ニミュエ(ニニーヴ)はペレアス卿が死ぬまで添い遂げ、アーサー王がカムランの戦いで傷つくと、モーガン・ル・フェイら他二人の貴婦人と共に王をアヴァロンへ導いたという。

「予言の子」ヘンリー

ヘンリー7世の紋章、左が「キャドワラダーの赤い竜」
SodacaniこのSVGのソースコードは正しい.この ベクター画像はInkscapeで作成されました 。 - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11299269による

現代の創作では、アーサー王の影に隠れて余り目立ちませんが、ルネサンス期には、最後のブリテン王キャドワラダーの再来を予言した魔術師としても重要な存在でした。『ブリタニア列王史』によれば、最後の正統なブリテン王キャドワラダーは、戦乱や飢餓、疫病を避けて大陸に渡り、ブルターニュ王の客将(きゃくしょう:客分として待遇される武将のこと。 主従関係を結んではおらず、家臣とは異なる)となりました。数年して落ち着くと、キャドワラダーは、艦隊を率いてブリテンに戻ろうとしますが、遠征直前に夢のお告げがあり、『マーリンの予言』が成就するその時までブリトン人はブリテンを取り戻すことは決してないという。その代わり、ローマに巡礼して教皇セルギウス1世に拝謁すべきこと、キャドワラダーはローマで客死し聖人となるであろうこと、そしていつの日かブリトン人がキリスト教への信仰心を取り戻し、『マーリンの予言』が成就され、キャドワラダーの聖遺物がローマからブリテンに戻るとき、ブリトン人が再びブリテンを支配することを告げます。

15世紀薔薇戦争末期、暗殺を避けてブルターニュに匿われていたヘンリー・テューダーは、赤薔薇をシンボルとするランカスター家の生き残りの最年長ではありましたが、血筋としては傍系(ぼうけい:直系ではない関係)を女系で引くというだけなため、王位への正統性はやや疑問視されていました。ところが、ヘンリーの父方であるテューダー家は、ウェールズ系の新興貴族であったものの、奇しくもキャドワラダーのモデルの一人であるカドワラドル・アプ・カドワスロンの末裔でした。そこでヘンリーが眼を付けたのが『ブリタニア列王史』中の『マーリンの予言』でした。赤薔薇の旗頭であり、キャドワラダーの子孫である彼にとっては、白薔薇をシンボルとするヨーク家との決戦に向けて、「キャドワラダーの再来たる『赤い』竜がいつか大陸から舞い戻り、『白い』竜からブリテンを解放する」という『予言』は(それがジェフリーの創作であるにせよ)まさに都合の良いものでした。

ウェールズ旗「カドワラドルの赤い竜」
Sodacan - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18295501による

彼はウェールズ系貴族の助力を得るために、35人以上もの詩人たちに自分が「予言の子」(ウェールズ語: mab darogan)であることを謳わせ、リチャード3世との決戦ボズワースの戦いでは「赤い竜」を軍旗として使用しました。 この作戦は、功を奏してヘンリーは多くのウェールズの兵を集めることができ、リチャード3世が王自ら突撃して旗手ウィリアム・ブランドン卿を殺した時にも、 ウェールズ系貴族のリース・アプ・マレディズがすぐさま代理旗手となり赤い竜の旗を戦闘終了まで死守したという。

リチャード3世に勝利しヘンリー7世として即位した王は、治世下の初期、ウスターの野外劇で『予言』の申し子として称えられました。

ヘンリー7世は、実利以上に自らが「予言の子」たることに陶酔していたと言われ、政務で気が滅入った時にはよくウェールズの詩人に歌わせて気晴らししていたという。 正妃エリザベスも遠くウェールズ王家の血を引き、二人が夭折した長男に付けた名はアーサーでした。 ヘンリー7世は「キャドワラダーの赤い竜」を自らの紋章に刻み、その後この竜は、ウェールズに逆輸入されて、現在では「カドワラドルの赤い竜」としてウェールズのシンボルになっています。


参照





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?