自分史的なクリッピング史料(番外編)

よく大学から会員誌的なものが送られてくる。長男とは同じ大学卒なので毎回2部、そして次男は違う大学卒なので別のものが。その他高校からも送られてくる。申し訳ないけど、さっと読んでほとんどとっておくことはない。
寄付金の申し込みが必ず入っているけど、それももっぱらスルー。お金に余裕があれば・・・と思いつつ。

2024年4月 春号 C大学員時報

内容を見れば固有名詞も分かると思うけど、一応、ちょっと配慮して。
まず目に飛び込んでくるのが、松田聖子が通信教育課程を卒業という記事。ぜひリカレントも母校で、という文言も付されている。自分も勉強意欲というか興味は尽きることはない。何でも経験したい、しておきたいという気持ちがいつもある。でも確かに時間は有限だから大事に使い切りたいと思う。

次に同大出身の林家つる子が真打昇進したという記事。これはメディアでも結構紹介されているので、知る人も多いだろう。確か先般笑点に出演していや筈。つる子さんは、二つ目で「芝浜」を女性目線で演じたとインタビューにある。子どもの頃円楽が好きで、笑点をよく視聴していた。でも本当の落語までの興味には至らなかった。「落研」は当然出身大学にもあったけど、どちらかと言えば「マジック」の方に興味は沸いていた。話術もさることながら、驚きを提供できるという趣向が好きだった。

そして次はかの『下剋上球児』の著者であるOBの方の著書の紹介。ヤンキー高校を5年で甲子園出場に導いたドキュメンタリー。ご本人は同大の落研OBでそれまでは野球一筋だったとインタビューで。落語では人間の「業」を肯定することに出会い、思うようにいかない毎日にも意味があるんだ的なコメントを付されている。遠藤周作も「人生にムダはない」的な著書も出しているし、辛い経験を積まれた人たちの言葉は結果論かもしれないけど、先達としての言葉の意義は深いものがある。これも「あなたはそうだったかもしれないけど・・・」とネガティブに捉えることも十分あり得るけど、それをいったらきりもないし、勇気もわかない。

そしてこの大学は文武両道で体育会の現役・OB選手も大いに活躍している。
今年のパリオリンピックにも多くの選手を輩出している。一方で自転車競技部の現役選手の訃報も掲載されている。訃報を読むと、自分が彼・彼女の親だったらとてつもなくつらい気持ちになるだろうと思う。お母さまの気丈なコメントと大学や同僚への感謝のコメントが表されているけど、本当に子供に舞台を与えてくれた大学への感謝っていうのはあるんだろうなぁと思う。

大学の学員誌は総じてコマーシャルではないから、大学という特別な領域でのニュースだから、ある意味で読みやすいし、ああそうなんだという記事も多い。自分事のように考えることもできるけど、やはり歳を重ねると親の気持ちとしてこうした記事を読むことが多いだろうか。でも時代を連綿とシームレスにつなげるような気分になるからついつい目を通すことが多い。

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