自分史的なクリッピング史料

世の中の関心事の一つで、東アジア反日武装戦線のメンバーが自らの出自を明かして、最期を迎えたいとの希望を伝えたというではないか。病院周辺は確かににぎにぎしい(自宅近くの病院なので)。しかしその人も昨日亡くなったとのこと。約50年も潜伏していたこと自体が想像できないが、どのような心境で長い時間、覆面人生を過ごしていたのだろうか。

2022年9月5日 現代史メモランダム 第8回 1969年
「二十歳の原点」孤独な闘い 全共闘の青春 愛惜いまも 遺稿、にじむ焦燥感

立命館大学生の高野悦子さんが残した「二十歳の原点」は蔵書にある。未だ読了していない。パラパラと読んでいるので。冒頭では社会派ブロガーによる「その本との出会いは忘れられない」とのコメントで始まる。

高野さんは、1969年6月24日に鉄道自殺を遂げた。京都の街を愛し、ジャズ喫茶に通い、学生運動の中で自問を重ね、恋に傷ついた青春が赤裸々に綴られていたようだ。そしてその2年後に遺族の手で出版された。たちまちベストセラーとなり、文庫本の累計は230万部に及び今も読み継がれている。その内の1冊が自分の手元にある。

1969年1月2日、自身の誕生日に「慣らされる人間ではなく、創造する人間になりたい」と記すと共に「読書!」を連呼している。冒頭のブロガーはこれを読んで自分も考える人間になろうと決意したとある。高野さんは帰省中の遅れを取り戻すべく、「朝日ジャーナル」(今や廃刊となってしまった)、「展望」をむさぼり読んだとある。そして「独りであること」、「未熟であること」が自分自身の二十歳の原点であると。これを受けて読者は今どう思うかも読み手次第。

当然、彼女の日記には、学生運動用語が目立つものの、二十歳の女の子らしく詩を綴ってみたりなど、当時の若者文化の気配も漂わせている様子。評論家によれば、全共闘は指導部や中枢のいないアナーキーな寄り合いであったと指摘している。そこから、「自己否定」「大学解体」と言ったスローガンが生まれたと。全共闘の代表的な例は日大闘争だけど、元はと言えば、学園の不正経理に怒った若者たちの反乱が端緒だった。

今の日大はどうなのだろうか?
大学側の理事会の問題やら一方で学生側の不正薬物問題など、それぞれに非があるような要因であるけど、現役の学生にとっては他人事にしか映らないのだろうか。日大闘争においても革命歌「インターナショナル」が歌われたらしいが、全員が覚えていたわけではないだろうとのコメントも。そして、そうした熱源は若者を消耗させていくことになったとも。今では若者の熱源はどこに吸収され回収されているのだろうか。

当初は普通の女学生だった高野さんの雰囲気も、紛争が激しくなると共に変化していったと同級生がコメントしている。そりゃそうだと思う。闘争中という独特の空気のせいではないだろうか。校舎をバリケード封鎖した1969年5月の日記には、「薄っぺらな学生証ごときに自分の存在を託すわけにはいかない」という強い主張を書き込んでいる。同志が最期に高野さんを見かけた時、憔悴しているようだったという記憶がよみがえるようだ。そして、当時、外国タバコ(洋モク)とピースを交換したということも些細なことだけど覚えていると。

同志は、高野さんの遺稿が出版された時、その悩みの深さを知って驚いた、いや動揺したとコメントしている。既にその同志は運動から身を引き、行政書士の道という普通の道を歩んでいただけになおさら。自分は日常に帰還できたけど・・・という感じなのだろうか。

全共闘の全盛期は現代史の中ではほんの一瞬の出来事なのかもしれない。その後セクト主導で過激化し、全体像は掴めないまま現代に至っているという。掘り下げる人などはいないのだろうか。平和な日本だから。戦争もはるか彼方の景色にしか見えないけど学生運動も同様なのだろう。

でも二十歳という時期・時間を、同じ経験をするかもしれない若者や経験した二十歳以上の人たち(シニア層なども含めて)は、一体あの運動は何で、どのような背景があったのかにほんの少しの関心があっても良いのかも知れない。勿論過去と一掃し、触れずにいることも何でもないことではあるけれど。でも史実であることは間違いないので。決して運動を煽動する訳ではないけれど、事実と背景を知ることで、自分の思考の蓄えになるかもしれない。一読の価値がある、きっと。といいながらも自分は、先ず「二十歳の原点」の読了が先だけど・・・。

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